「それでも、地球は回っている」誰もが一度は聞いたことのあるこのセリフ。どうやら、これはあのガリレオ・ガリレイが宗教裁判で有罪になったあとに言ったものらしい。
しかし調べてみると、このガリレオの罪はのちに許されていた。しかも、彼の死後ずいぶん経ってから!
今回は、このガリレオとその免罪についての雑学を紹介するぞ。その罪の内容と免罪までのあまりに長い時間におどろくこと間違いなし。
【歴史雑学】ガリレオの地動説の罪が許されたのは死後350年後
【雑学解説】ガリレオの「地動説の罪」とは?
今回のトリビアの主人公であるガリレオ・ガリレイは、16〜17世紀のイタリア・フィレンツェで活躍した物理・天文学者だ。
ガリレオは、自分で改良した望遠鏡を使って得た観察結果から、地球が太陽の周りを回っていることを明らかにした。そう、地動説を証明したのだ!
では、彼が犯した罪とはなんだったのか? 科学の進歩に貢献したのだから、特別悪いことはしていないように思える。
この疑問の答えは、キリスト教。つまり聖書の教えに反する思想をもったという罪だった。
カトリック教会は正しい正当な教えではなく、異なった考えをもつ者を異端とすることで、その教えを守っていた。カトリック批判が盛んになった16世紀半ば、ローマに宗教裁判所が設置され、そこで異端か否かの判断が下された。
ガリレオの地動説が異端とされたのは宇宙観の違い
問題は、カトリックの宇宙観だった。どんな考えだったかというと、動かない地球の周りを太陽や月が回っているという天動説。つまり、ガリレオが証明した地動説とは真逆の考え方だったのだ。
1633年の宗教裁判で、聖書の教えに反した地動説を唱えたガリレオは異端とされた。この結果、フィレンツェ近郊のアルチェトリの自宅で軟禁生活を強いられた。
その後も科学の研究は続けたが、1642年1月にガリレオは異端という罪を背負ったまま、77歳で病死した。
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350年後にようやくガリレオの裁判が見直される
カトリック教会がその重い腰をあげて、ガリレオの裁判の見直しを行ったのは、なんと20世紀後半になってから! 1979年のアインシュタイン生誕100年を機に、当時の教皇ヨハネ=パウロ2世がガリレオの異端判決の再調査を命じたのだ。
だが、そのプロセスもなかなかにゆっくりだった。1979年から再調査が行われ、1983年に17世紀の宗教裁判が誤りであったことが表明された。そして、その9年後の1992年11月にヨハネ=パウロ2世の演説によって、ようやく正式にガリレオの名誉が回復されたのだ。
ガリレオの死が1642年であるから、正式に異端判決が取り消されるまで、その死からちょうど350年かかった計算である。
こうした長い年月を経て、ガリレオの地動説を唱えたという罪は許された。教会の判断を覆すことがこんなにも難しいとは…。だが一方で、真理はいつかは認められるということを教えてくれる例でもある。
【追加雑学】ガリレオの裁判は2回あった?
なんとガリレオは1616年と1633年の2回、宗教裁判にかけられていた!
最初の1616年の裁判では、地動説を教えることを一切禁じられこそはしたものの、警告のようなものだったという。しかし、ガリレオはその後も地動説に関する執筆を続けたため、最初の裁判での約束を破ったことを主な理由に、2度目の裁判にかけられた。
この1633年の裁判で、ガリレオの罪は決定的となる。ガリレオは地動説の放棄か死かの二択を迫られ、地動説を唱えた異端者として生きのびることを選んだのだった。
ちなみに、ガリレオが「それでも、地球は回っている」と言ったという逸話は、2回目の裁判のときとされているが、真偽は定かではない。
教会権力に警告されても止められない知的探求欲。さすがは、真理をつかんだ天才ガリレオである。
雑学まとめ
今回は、有名なガリレオ・ガリレイと地動説についての雑学を紹介した。現在ではほとんど常識となっている地動説を唱えただけで罪に問われてしまったとは…
そしてその罪が許されるまでに350年もの月日が必要であった…時代の最先端を行くのも、楽ではないということだろうか。
時代が変われば、人々の考えも変わる。今日、間違いとされていることも、未来では認められているかもしれない。