使っていた芸能人が逮捕されてしまった報道も流れれば、題材にしたドラマなどもあることから、覚せい剤が恐ろしい薬物だということは今となっては常識となっている。
そもそも法律で所持することも禁止されているのだから、使うなという前に、手に入れる術がない。しかしこの覚せい剤、昭和初期の時代にはなんと普通に市販されていたというのだ。
なんとも耳を疑うような雑学だが、これは紛れもない事実だ。真相に迫ってみると、その背景には戦争が深く関わっていたことがわかった。
【人体雑学】「覚せい剤」はもともとは一般的な薬だった
【雑学解説】覚せい剤は、戦後の陰鬱とした気分を紛らわすのにピッタリだった
1938年のこと。ドイツは戦争におもむく兵士たちの士気を保つための薬として、いわゆる覚せい剤といわれる「メタンフェタミン」を服用させた。
メタンフェタミンには神経伝達物質の一種、ドーパミンを過剰に放出させる作用があり、これによって脳を意図的に興奮状態にするのだ。
ドイツでメタンフェタミンが戦争に使われていることを知ると、第二次世界大戦下にあった日本でも、軍用にこれを作らせた。死を省みずに敵機に突っ込んでいった神風特攻隊も、覚せい剤を服用して恐怖を誤魔化していたという話だ。
戦争が終わると、軍用に作られていたメタンフェタミンが市場に流出するようになる。薬局でも「ヒロポン」などという商品名で普通に売られていた。
覚せい剤の興奮作用は、敗戦がもたらした陰鬱とした雰囲気を紛らわすのにおあつらえ向きだった。その背景も後押しして、一気に広まっていったのだ。
また覚せい剤の効果で脳を覚醒させると、2~3日眠らなくても平気で作業ができるという。よって寝ずに運転をするトラックのドライバー、また徹夜で勉強したい受験生などにも重宝されていたのだ。
覚せい剤の危険性は認識されていなかった?
「いやいや、2~3日寝なくても大丈夫になるって、普通にヤバイ薬だってわかるでしょ…」と突っ込みたくなる。しかし覚せい剤が登場してから間もないその頃には、日本でも海外でも、危険だという情報は出回っていなかったのだ。
臨床実験もされていたが、副作用についてはそこまで問題視されていなかった。ヒロポンを販売していた大日本製薬も「タバコがやめられなくなるぐらいのものだと思っていた」といっている。
しかし昭和22年を過ぎたあたりから、中毒によって、精神疾患などの禁断症状に悩まされる人たちがちらほらと現れ始める。
これによって昭和23年には薬事法により劇薬に指定。製造は自粛され、使用するには医師の指示が必要となった。そして26年にようやく覚せい剤取締法が制定され、一般的な使用は一切認められなくなったのだ。
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【追加雑学】覚せい剤を最初に作ったのは日本人?
メタンフェタミンが初めて合成されたのは、1893年のこと。薬学者の長井長義(ながいながよし)さんが、喘息の薬として作ったのが最初だ。
しかし咳止めの効果よりも、脳を興奮状態にする作用のほうが強かったため、当時はうつ病や日中に眠くなってしまう睡眠障害などの治療に使われていた。
ただその作用はあくまでも一時的なものだ。結果としてうつ病が改善されることもなければ、眠気を飛ばしたとしても誤魔化した時間の分だけ、薬が切れた後から眠気に襲われることになる。
つまり根本的な治療にはならないとして、特別注目もされなかったのだ。
薬が作られた背景に悪意はない。問題はやはり、その一時的な興奮作用を必要としてしまった戦争にあるのだろう。
雑学まとめ
今回の雑学はいかがだっただろうか。覚せい剤が市販されていたのは、その危険性が注目されず、中毒者が現れるまで認識されていなかったからだ。この事実は不確かなものを信用する恐ろしさ、知ろうとすることの大切さを物語っている。
美味しい話には裏がある。代償を払わずに能力や快感を得られるものなど、絶対に存在しないのだ。
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