松下幸之助といえば、パナソニックを1代で築き上げた「経営の神様」である。また経営者のみならず、将来の日本を担う人材育成に力を入れたことでも知られている。彼が創設した松下政経塾からは、多くの政治家を生み出した。
多方面に大きな功績を残した松下幸之助。ところで、彼が現在の浅草寺・雷門を再建したことをご存知だろうか。この記事では、彼が再建に力を尽くした浅草寺・雷門についての雑学をご紹介しよう。
【歴史雑学】浅草寺の雷門を再建したのはパナソニック
【雑学解説】 浅草寺に秘められた偉人たちのエピソード
浅草寺といえば、日本で最も古い商店街といわれる仲見世通りに面した「雷門」が有名だ。正式名称は「風雷神門(ふうらいじんもん)」といい、門の脇には、左右それぞれに「風神」と「雷神」の彫像が祀られている。
ところで、現地に建つ「雷門」は、昭和35年に再建された2代目になる。初代「雷門」は、1856年の火災により、長らく焼失したままになっていたからである。幻だった「雷門」を再建した人物こそ、当時の松下電器産業の経営者だった松下幸之助である。
浅草寺の住持(じゅうじ)の懇願もあって、1960年、現在の2代目・雷門が再建されたのである。再建した際に松下幸之助は、雷門の正面に飾られる大提灯の奉納も行っている。
また、こんなエピソードも伝えられている。浅草寺の住持が再建を願い出た際、松下幸之助は「表に名前を出さないでください」と伝えたとされる。偉大な人物は、財力もさることながら常人の想像を超えたふるまいで、見事に再建の依頼に応えたのだ。
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【追加雑学①】雷門の提灯は、10年に1度架けかえられる
松下幸之助によって再建された2代目「雷門」。門を再建した際に、大提灯(ちょうちん)を一緒に奉納したことは、先ほど書いた通りだ。実は再建以来の縁もあってか、現在も10年に1度、大提灯はパナソニックの関係者の手によって「雷門」に奉納されているのだ。
その様子を伝えるパナソニックの公式動画があるので、ご覧いただきたい。動画にも紹介されているように、提灯は京都から浅草寺までトラックで運ばれる。その際、提灯の大きさを理由に、現地までは高速路ではなく一般道で運ばれることになる。
松下幸之助の手によって、再建された浅草寺の「雷門」。その門を飾る大提灯は、現在もパナソニックの関係者によって、定期的に提灯が付け替えられている。松下幸之助から続くパナソニックと浅草寺の縁は、今も続いているのだ。
【追加雑学②】徳川家康が天下統一を果たしたのは浅草寺の霊験のおかげ?
松下幸之助に限らず、浅草寺は偉人とのエピソードが他にも残されている。その人物こそ、江戸幕府の創始者・徳川家康である。
1590年、徳川家康は豊臣秀吉の命により、江戸に入府することになった。家康の側近の進言もあっって、浅草寺は徳川家の祈願所に定められ、厚い庇護を受けることになる。
祈願所に定められたのには、いくつかの理由がある。浅草寺が江戸城の鬼門に当たるとされる地に建っていること、家康が信仰していた天台宗の名高い寺であったこと、家康が尊敬した源頼朝を筆頭とする源氏一族ゆかりの寺だったこと、などの理由が挙げられる。
徳川家の祈願所となった浅草寺の霊験(れいげん)が発揮されたのは、天下分け目の決戦「関ヶ原の戦い」が直前に迫った1600年のことである。
浅草寺の住持だった忠豪上人(ちゅうごうしょうにん)は、家康から天下分け目の戦に勝利するように祈願を任されて、家康本人にかわって浅草寺で願懸けをおこなったという。
その成果もあってか、関ヶ原の戦いは家康率いる東軍側が見事に勝利をおさめた。東軍の勝利によって浅草寺の霊験は、またたく間に天下に響き渡ったとされる。
雑学まとめ
松下幸之助が再建した「雷門」についての雑学をご紹介してきた。現在も多くの人間の尊敬を集める松下幸之助にあって、「雷門」に秘められたエピソードは、彼の懐の深さを伝えるには十分であろう。
年をくっても器の小さい筆者としては、せめて松下幸之助の爪の垢を煎じて、その恩恵に被りたいものである。私たちが普段なにげなく目にしている光景は、無名・有名を問わず、こうした偉人たちの功績によって支えられているのだ。
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