皆さんはアニメをどれくらい観るだろうか。または子供の頃に観ただろうか。今やテレビでアニメを見ない日はない程に普及している。まして日本はアニメ大国として海外でも話題だ。
ところでアニメが世界で初めて作られたのは、いつ・どこでのことなのか気にならないだろうか? 意外と気にしたことがないが、改めて考えると知りたくなってしまう。
アニメが初めて作られたのは1892年のフランスのことである。このアニメ制作する上での技術がまた凄いものなのである。今回は、世界初のアニメにまつわる雑学をご紹介しよう。
【世界雑学】世界で初めてアニメを作ったのはフランス人
【雑学解説】世界で初めて再生されたアニメのタイトルは「哀れなピエロ」
世界ではじめてのアニメのタイトルは「哀れなピエロ」(原題:Pauvre Pierrot)である。制作したのはフランスの発明家である、シャルル・エミール・レイノーという人物だ。
実際に哀れなピエロを観てみると…なんとカラー映像ではないか! 世界初のアニメはカラーなのである。
しかしこのアニメは現在の映画とは違う「テアトル・オプティーク」という、レイノー自身が発明した映写機を使用しており、後のカラーフィルムとはまた原理が違うため、カラー映像が映せたのだ。
この発明品を使い、1892年にパリのクレヴァン蝋人形館にて世界で初めてのアニメ上映会が行われたのである。
内容は恋する男と女の物語
そして気になる哀れなピエロの内容はというと、正直セリフがなく、細かい内容はわからないので、観たイメージのままに書いてみようと思う。動画を観て、皆様はどう感じるだろうか。
月夜の晩に仮面の男が女性の家に忍び込み、会いに来る。とても仲が良さそうであるが、そのときもう一人の道化師の男が登場。
道化師も女性が好きなようだ、仮面の男にとってはライバルだ! このままでは愛しの彼女が取られてしまう。それだけは許さないぞ、ピエロを引き離すためにやることは一つしかない…。
仮面の男は自分がもっていた木の棒で道化師を殴って、追い出してハッピーエンド。俺の勝ちだといわんばかりに、喜びの舞を踊るのであった…。
「哀れなピエロ」とは、殴られて散々な目にあった道化師のことであったのだ。いやいや、めちゃくちゃすぎるだろう。しかし内容としてはこれでほぼ合っているはずだ…。
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【追加雑学】テアトル・オプティークという機械が完成したことで、この世にアニメ映像が誕生した
アニメのストーリーはなかなかはちゃめちゃだが、このアニメの再生技術は仕掛けを知ると驚くばかりだ。このアニメを再生したテアトル・オプティークという機械が、本当にすごい発明なのである。
アニメ本編が始まる前に出てくる、モノクロの絵に描かれているのがテアトル・オプティークだ。よく見ると哀れなピエロが上映されている。この機械の操作をしているのは、レイノー本人。
元々レイノーの発明の前に、アニメの元祖となる原始的なおもちゃがあったのだが、レイノーはゾートロープという連続した静止画を回転させることで、動いているかのように見える装置を改良し、プラキシノスコープという装置を発明する。
プラキシノスコープは絵を回転させ、中央に取り付けた多面鏡の柱を覗いて鑑賞するもので、小さいものであったが、これをさらに改良し、スクリーンに映し、大人数で鑑賞できるようにした発明がテアトル・オプティークだ。
スクリーンに映す方法は、プラキシノスコープの多面鏡に映した映像を、さらにライトと鏡で反射させるのだ。このような方法で上映していたので、カラー映像が可能であったのだ。絵の動かし方は、リールを手動で回すのである。
さらに凄いところは、人物とは別に背景を別のプロジェクターで映し、合成させ、臨場感あふれる映像を作り上げたところである。1892年の時点で既に技術が進歩しすぎていて、もはや驚くばかりだ…。
雑学まとめ
世界初のアニメについての雑学をご紹介したが、いかがだっただろうか。内容は結構あっさりとしたものであったが、それ以上にその再生技術の方に注目してしまった。
まずそもそもテアトル・オプティークという発明がもはや凄すぎて、この記事を書いてる筆者自身の頭が理解に追いついていない…。
しかしこの発明がなければ、もしかしたらアニメ映像の誕生はもっと後になり、私達が知っているアニメ作品も生まれていなかったのかもしれない。
その時代の技術をフルに使い、作品を作り上げていくという工程は、本当に感心の連続ばかりであった。
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