4年に一度のスポーツのお祭りオリンピック! 夏季大会と冬季大会が2年ずれているので、2年ごとのお楽しみとなっている。普段はスポーツ観戦しない人でも、ついつい夜ふかしして観戦してしまうのではないだろうか? もちろん私もそのうちのひとりだ。
そんな魅力たっぷりのオリンピック。日本では「五輪(ごりん)」とも呼ばれているが、この「五輪」いつからそう呼ばれるようになったのだろうか? 単に5つの輪が連なっているから五輪? それとももっと深い意味があるのか!?
きっと名付け親がいるに違いない。今回は「オリンピック」が「五輪」と日本語訳された理由と、「五輪」の名付け親についての雑学をご紹介するね!
【オリンピック雑学】オリンピックの日本語訳「五輪」の名付け親は誰?
【雑学解説】オリンピックを「五輪」と名付けたのは新聞記者だった
1936年(昭和11年)は、ベルリンオリンピックが開催された年である。
当時読売新聞社でペンをふるっていた川本信正さんは、紙面担当者から「オリンピック」は6文字で長いため、どうにか略すことはできないかと相談された。
川本さんは、オリンピックの五大陸をイメージしたというシンボルマークの5つの輪と、宮本武蔵の剣術の奥義をまとめた本「五輪書」を思い出し、そこから「五輪」がひらめいた。
すぐに紙面担当者に「五輪」と書いたメモを渡したそうだ。
「五輪」は即採用され、1936年8月6日、紙面で「五輪」が使われるようになり、その後すぐに他の新聞でも「五輪」が使われるようになった。
しかし、その後日本は戦争へと突入。
1940年の東京オリンピックが中止になり、敗戦を迎えた。日本がオリンピックに復帰できたのは1952年のヘルシンキ大会なので、その間、川本さん考案の「五輪」は世間一般に浸透することはなかったのである。
「五輪」が本当の意味で日の目を見たのは、このヘルシンキ大会からだったのだ。
川本さんは運動部の記者として活躍し、1932年のロサンゼルスオリンピックでは、陸上男子100メートルの吉岡隆徳選手を「暁の超特急」と名付けたことでも有名。
戦後はスポーツ評論家として活躍し、オリンピック委員会の委員も勤めた。
「オリン」ピックと「ゴリン」、語呂も良く、「五輪」から5つの輪のイメージもすぐ湧いて、まさに名案!
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【追加雑学①】オリンピックの五輪のシンボルマークは誰が決めた?
ところで、オリンピックマークといったら青・黄・黒・緑・赤の5色からなる輪のマーク。このシンボルマークは誰がどうやって決めたのだろうか?
オリンピックのマークは、1912年(明治45年・大正1年)に、近代オリンピックの創立者クーベルタン男爵によってデザインされた。
5つの輪は、古代オリンピック開催地のひとつであるデルフォイの祭壇に刻まれている休戦協定の五輪の紋章からヒントを得た。
1912年はストックホルムオリンピックが開催された年だが、このときはまだこの五輪マークはデビューしていない。1914年に発表され、1920年のアントワープオリンピックで公式デビューしたのだ。
このときにアントワープ市で作成されたオリンピックマークの旗は、「アントワープ旗」と呼ばれ、1980年のモスクワオリンピックまで引き継がれた。
【追加雑学②】五輪マーク、それぞれの輪の意味は?
5つの輪の正式名称は、オリンピックシンボル。左から青・黄・黒・緑・赤の輪が重なり合ってつながっている。
これは、5大陸(南北アメリカ・アフリカ・ヨーロッパ・アジア・オセアニア)がスポーツを通じて平和になろう! というような意味がある。
どの大陸がどの色というのは決まっていないし、色の意味の記録も残されていないため詳細は不明だそうだ。
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【追加雑学③】五輪というのは日本だけ?
「五輪」という言葉は、日本でしか使われていない。では、他の国でも「五輪」のようなオリンピックを別の言葉で表した言葉はあるのだろうか?
中国では奥林匹克運動会と書いてオリンピック。略して「奥運」というそうだ。世界規模だけど「運動会」ってなんかかわいい。
パラリンピックの漢字表記も考えられているようだが、まだ正式なものは決まっていない。もし名案が思いついたら、採用されるかもしれないぞ!?
雑学まとめ
今回は、オリンピックの日本語訳が「五輪」という雑学をご紹介した。
名付け親がオリンピック関係者ではなく、新聞記者だったというのは驚いたが、この川本さんという方は博識で命名のプロだったようだ。
オリンピックがきっかけで愛称が付いた競技もたくさんある。スキーの「日の丸飛行隊」はメディアによって命名されている。他の競技は一般公募などで決定されているようだ。オリンピック関連の名付け親はこれからも増えそうだ。気になる方はぜひ調べてみてね!