フランスの代表的な建築物、ヴェルサイユ宮殿。日本でも、大ヒット漫画「ベルサイユのばら」に登場しているので、名前くらいは聞いたことのある人も多いだろう。
世界中から多くの観光客が見学に来る華やかなヴェルサイユ宮殿だが、完成するまでには実に26年という長い年月がかかっている。年月だけでも驚きだが、さらに完成までに多くの犠牲者を出しているというのだ。
今回は、華やかなイメージのヴェルサイユ宮殿に隠された雑学を紹介していくぞ。これを知れば、ヴェルサイユ宮殿へのイメージがきっと変わるだろう。
【世界雑学】ヴェルサイユ宮殿は多くの犠牲の上に完成した
【雑学解説】ヴェルサイユ宮殿は、毎晩荷車いっぱいの死者を出して完成した
ヴェルサイユ宮殿の工事は昼夜を問わず進められたため、毎晩荷車いっぱいの死者を運び出していたという。ヴェルサイユ宮殿は、完成するまでに26年という長い年月をかけているが、その中でも最も過酷で犠牲者が出たのが、宮殿までの水引きだといわれている。
ヴェルサイユ宮殿の周辺は砂地や沼地ばかりで、もともと水や土がない場所。そんな場所へ水を引くというのだから、建設工事の過酷さは想像を絶するものだっただろう。
ヴェルサイユ宮殿へはセーヌ川の水を引いたのだが、これも一筋縄ではいかない。まず、セーヌ川の水を高さ154メートルの丘までくみ上げる。この丘までの距離がなんと1,256メートル。そこからヴェルサイユ宮殿までは8キロもあるというのだ…。
ここまででも相当大変だが、さらに800万立方メートルの水を貯めるための貯水池まで作るという工事が加わった。工事を進める上で当然、寒い冬もやってくる。
工事からくる過労、厳冬期の凍傷、宮殿周辺の沼地特有の疾病の蔓延と重なり、とうとう「毎晩荷車いっぱいの犠牲者を運びだした」という悲惨な文章が残されることになった。犠牲者のことを思うと、胸が痛む…。
【追加雑学①】ヴェルサイユ宮殿はルイ14世が愛人とのデートで思いついたのがきっかけ
多くの犠牲者を出して建てられたヴェルサイユ宮殿。さぞかし立派な理由で建てられたのだろう、と誰もが思うに違いない。しかし、残念ながらそんな理由ではなかった。
もともとルイ14世の前王、ルイ13世が狩り用の館として建てていた。館ができたことによって、その周辺に店ができ小さな街が自然にできていった。そこに目を付けたのがルイ14世。愛人とのデートで「ここに宮殿を建てるといいかも」と思いつき、すぐに建設が始まったというわけだ。
よりによって愛人とのデートでの思いつき。ルイ14世…なんて奴なんだ。
そして、上記で説明したような過酷な工事を乗り切り、見事完成したのが次の動画のような素晴らしい宮殿というわけだ。
思いつきでこんなに素晴らしい宮殿ができるんだから、国王の力は恐ろしい。ルイ14世はヴェルサイユ宮殿で自分の権力を表していたというから、それもあってこれほど豪華なものになったのかもしれない。
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【追加雑学②】人民がヴェルサイユ宮殿に自由に出入りし、見物できた!?
日本の皇居は、一般人は基本的に入ることはできない。しかし、ルイ14世の頃のヴェルサイユ宮殿は、人民なら誰でも自由に宮殿に入ることができたという。しかも、国王や王妃も見放題というおまけつきだ。
どれくらい自由だったかというと、国王一家の晩餐・王妃の出産・ルイ14世の臨終といった、今では信じられない場面まで見ることができたというから驚きである。
ちなみに、ここまで人民が出入り自由だったにもかかわらず、宮殿内には王族以外が使えるトイレがなかった。そのため、王族以外の人は庭や廊下で用を足していたという。華やかな宮殿も、物陰には汚物が山積みになっていたというわけだ。イメージが崩れ落ちてしまう。
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雑学まとめ
ヴェルサイユ宮殿についての雑学、いかがだっただろうか。ルイ14世の思いつきで建てられたヴェルサイユ宮殿。フランスを訪れた際は、ぜひヴェルサイユ宮殿を訪れ犠牲者のことを思い浮かべてほしい。
当時のルイ14世の権力は絶対的で、好き放題する王に人々は疲れていたという。そのため、ルイ14世が亡くなったとき人々は飲んで踊り騒いだと語り継がれている。今後、このような王が現れないことを願いたい。