医者が患者の病状をみて治療をあきらめることや、見込みがなく物事の解決を断念することを「さじを投げる」という。この慣用句のルーツは、江戸時代の医師に由来をもっていることをご存知だろうか。
「さじ(匙)」とは、江戸時代の医師が薬を調合する際に使用した医療道具のことなのだ。この記事では、慣用句「さじを投げる」の語源と、江戸時代の医師にまつわる雑学についてご紹介する。
【歴史雑学】「さじを投げる」の語源は、江戸時代の漢方医が使う道具が由来だった
【雑学解説】江戸時代の医療道具「さじ」からは、さまざまな言葉が生まれた
「さじを投げる」とは、薬を処方しても治る見込みのない患者に対する医師の態度や様子から生まれた語句である。このさじとは、江戸時代に薬を調合するための医療道具「薬さじ」のことを指している。
18世紀以前の江戸時代の医学は、漢方医学が主流をなしていた。また当時の医師は、古代中国の貨幣・斎刀銭(せいとうせん)を薬の分量を計る際の基準にしたことから、一般に刀圭家(とうけいか)と呼んでいた。また、幕府おかかえの医師は、お匙医師(おさじいし)とも呼ばれていた。
「お匙医師」という名称からも分かるように、医師は患者に処方する薬の調合を自らおこなった。医師の薬箱には多くの生薬が詰められており、さじを使って量を調整しながら薬を調合したとされる。
そのため、匙を使った微妙な薬の調合技術が、医師の腕を左右したといわれるのだ。さじの使い方や、さじをとって薬を調合することを、「さじ先」や「さじ取り」といい表すのは、そのためである。
同様に、匙に盛る微妙な薬を調合する様子を指して、「さじ加減」という語句も生まれた。当時のさじには、大小さまざまな形や種類があり、材質が金属で作られた真鍮(しんちゅう)製のものや動物の牙や角、木製などから作られていたとされる。
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【追加雑学①】江戸時代は特別な資格をもってなくても医者になれた
現代は医師になるためにはさまざまな資格が必要となる。しかし、江戸時代の医師には特別な資格など必要がなかった。自ら医師と名乗れば、誰でも医師になることができたのだ。
江戸時代の医師は、師についたり医学書を読んだりすることで医学の知識を深めたそうである。しかし、まったく医学に通じていない者でも、医者の看板を出せたことから、当時は名ばかりの藪医者が横行したそうである。
江戸当時の落語や川柳には、こうした藪医者をモチーフにした作品や歌が多く発表されているという。また一般の医者の多くが、漢方医学にしか通じていないために、治療といえるものは脈をはかり、症状に応じた薬を処方するぐらいだったとされている。
【追加雑学②】江戸時代初期の医師のヘアスタイルは、坊主が定番だった
江戸時代の医師の身なりは、十徳(じっとく)と呼ばれる衣を着用し、患者を診察する際には薬箱を持参したとされる。また往診する際には駕籠(かご)にのって診察に行く医師もいたという。
また医師の髪型は、坊主姿の剃髪スタイルが主流をなしていた。これは漢方医学が中国にルーツをもつことから、漢学の知識を身につけた僧が医師に多く就いたとされるためである。
こうした経緯もあって、現代の辞書には「医者坊主」という言葉が記載されている。これは江戸時代の医者を指した総称で、当時の医者の多くが髪を剃っていたことに由来する言葉である。
なお江戸時代の中期になると、髪を伸ばした総髪・束髪のスタイルも見られるようになった。
雑学まとめ
「さじを投げる」の語源と江戸時代の医師の雑学についてご紹介してきた。「さじを投げる」の語源は、江戸時代の医師が患者に薬を処方する際の道具「さじ」に語源があることがわかった。
また、江戸時代の医師はとくに特別な資格を必要とせず、誰でも医師になることができた。そのスタイルは坊主頭が多かったことも上に紹介した通りである。
江戸時代の医学水準からいえば、町医者には藪医者が多く存在したことだろう。現在では絶対にあってはならない話だ。信頼できる医者に診てもらうことは、いつの時代も変わらないのだろう。
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