近代オリンピックの父として有名な「ピエール・ド・クーベルタン男爵」。彼は古代オリンピックを復興させ、現在のオリンピックの基礎を築いた人物だ。
いまでも有名なくらいだから、それだけオリンピック復興に尽力した彼の力は大きかったのであろう。そうなら当然初代IOC会長だろうと思いきや、実はそうではない。
では、誰が初代IOC会長になったのか? なぜクーベルタンは会長にならなかったのだろうか?
クーベルタンを差し置いて会長になれるほどの影響力があるすごい人物がいたのだろうか? それにしても、初代IOC会長の名前は聞かない…
というわけで今回の雑学では、クーベルタンが初代IOC会長にならなかった理由を調べてみたぞ! オリンピックのシンボルである五輪のマークまで作った影響力のあるクーベルタンが、あえて初代IOC会長にならなかったのには理由があったのだ。
ついでに、IOCの公用語について紹介させてくれ! 英語かと思いきや、実はそうではないのだ。
【オリンピック雑学】近代五輪の父・クーベルタンは初代IOC会長ではない
【雑学解説】クーベルタンが初代IOC会長ではない理由とは?
まず、そもそもIOCとは「国際オリンピック委員会(International Olympic Committee)」の略で、オリンピックを主催する国際組織だ。簡単にいえばオリンピックに関わる組織の中で一番上であり、そこの会長ともなればトップの中のトップといえる。
近代オリンピックはクーベルタンが「古代オリンピックを復興させよう!」と世界に呼びかけたことから始まったので、クーベルタンはオリンピックの父であり、IOCの創立者でもある。
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しかし、創立者であるにもかかわらず、クーベルタンはIOCの初代会長にはならなかった。
初代会長は、ギリシャ人のデメトリウス・ビケラス(ディミトリオス・ヴィケラス)だ。
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初代IOC会長に自分以外を指名した理由は?
ギリシャはオリンピックを自国で開催することを受け入れたが、内政の不安定さや財政悪化により取りやめようとする動きがあるなど、なかなかゴタゴタしていた。
そのようななかでもギリシャ国王・ゲオルギオス一世が率先して各国王室とのネットワークを使い、寄付金を集めて開催にこぎつけた、という背景がある。
しかし、オリンピックの開催は恒久的にギリシャで行うことを提唱していたギリシャ国王と、世界各国で行いたいクーベルタンで意見が対立していたようだ。
そのような状況の中、ようやくアテネで第1回オリンピックが開催できる流れになったので、会長職のことで揉めて開催中止になることを避けたかった。まずは最初のオリンピックを成功させるために、クーベルタンではない誰かを会長にする方がギリシャ国王の協力を得やすい。
そのような経緯でビケラスが初代会長に選ばれたと考えられる。
ちなみに、当時のIOC憲章では「会長は次回開催予定国の人間から選ばなければならない」という決まりがあったため、ビケラスが選ばれたという説もある。
どちらにせよ、初代会長になったビケラスは経営者で、影響力のある人物でもあったのでちょうどいい人材だと考えたのかもしれない。しかし、クーベルタンがビケラスをあえて会長にしたという時点で、どちらが実権を握っていたかは明白である。
実際、ビケラスは1894年~1896年の約2年しか会長を務めていない。第1回オリンピックが終わるとビケラスは早々にお役御免となったそうだ。その後2代目IOC会長に就任したクーベルタンは、1896年~1925年の約30年間トップに君臨した。
ビケラスは邪魔だと追い出されたのだろうか…クーベルタンにいいように使われた感じが否めない。
【追加雑学】IOCの第1公用語は英語ではなくフランス語
国際的な組織の公用語は英語であることが一般的だが、IOCの場合は少し違う。第1公用語はフランス語で、第2公用語が英語である。フランス語と英語で解釈の違いが出れば、フランス語での解釈が優先される。
なぜフランス語が第1公用語なのかというと、ここにクーベルタンが関係してくる。
オリンピック復興に尽力したクーベルタンがフランス人であることと、クーベルタンが催したパリの国際会議で近代オリンピックの復興が決まったことから、IOCの第1公用語はフランス語なのだ。クーベルタンの影響力の強さがうかがえる。
せっかくなら初代IOC会長になったギリシャ人のビケラスにちなんで、ギリシャ語でもいいと思うのだが、残念ながらクーベルタンの影響力の方が圧倒的に強かったようだ。
雑学まとめ
近代オリンピックの父・クーベルタンの影響力についての雑学を紹介したが、いかがだっただろうか。
パリで国際会議を開いてまでオリンピック開催に奔走したのに、無事に開催されることを優先してあえて初代IOC会長にならなかったと思われるクーベルタンのエピソードからも、オリンピックへの熱意が伝わってくる。
無事に第1回オリンピックが開催された後は本領発揮とばかりに、約30年間会長職についたり、第1公用語はフランス語になったりと、存在感がものすごい。
IOCの委員には各国の王族がゴロゴロいることを考えると、30年も会長を務めることがどれだけすごいことなのか庶民のわれわれには想像もできない…