みなさん、シュレッダーは使っているだろうか? 自宅に届いた住所やら名前の載ったはがきや封書。このシュレッダーの普及した世の中で「そのままポイ!」なんてしてる人がいるのなら、ぜひ今後やめておくことをおすすめする。
世の中にはいろんな人がいる。興味本位で人のゴミをあける人も、信じられない話だが実在する。筆者も、ゴミの日にでかい袋をかかえ、自転車でごみ収集所へ行くと、出された袋をあけてゴソゴソするおじさんを見たことがある…!
住所の書いたものが入っていたら何に利用されるかわからないし、自分で自分の身を守るためにも「シュレッダー」は一家に一台置いておきたいものである。ただ紙を切ってゴミに出すだけのシュレッダーだが、実はなかなかに興味深い歴史がある。
今回の雑学では、会社や個人の大切な情報を守る強い味方・シュレッダーにスポットをあてて、その秘密をシュレッダーにかけることなくみなさんにお伝えするぞ!
【生活雑学】シュレッダーはどうやって生まれた?
【雑学解説】シュレッダーが生まれたきっかけ
シュレッダーが生まれる前の日本のオフィスは、社員のデスクが書類の山に囲まれ、社内の情報機密が整理しきれず溢れかえっていた。そのような中で会社の外に漏れてはいけない情報をいかに守るのか、というのが課題であった。
…そんな時代、とある大手コピー機会社のセールスマンがいた。彼は、コピー機のセールスマンという仕事柄、たくさんのオフィスへ入る機会があった。
そこで見たのは、デスクの書類の山・山・山。それを見た男は、このままではいけないと、これからのオフィスでの情報の管理と、処理の仕方について考えるようになった。
しばらくして、男はコピー機会社を退職し、機密情報を守る機械をつくる開発に取り掛かった。現在のシュレッダーという形にたどり着くまでには、印刷した文字を薬品で消したり、窒素で冷却して粉砕するという方法を試した。
しかし、それもうまくいかず悩んでいた矢先、男はとある立ち食いそば屋で大きなヒントにつながるものに出会った! …それは、そばをカットするための「製麺機」。
「このそばの製麺機のように、書類を裁断すれば、捨てやすいんじゃないか! おまけに古紙回収のリサイクルにも出しやすくなる!」
そう。シュレッダーは、そばの製麺機をお手本にしてつくられたものだったのだ…!
【追加雑学①】シュレッダーを発明したのは、日本人の高木禮二(たかぎ れいじ)!
ちなみにこの元コピー機会社の社員の男は、高木禮二という。若いころからアイデアマンとよばれ、お金はないが情熱と勇気には自信のある熱い男であった。
コピー機会社を退職する際、「お金はないが会社を立ち上げたい、安く事務所を借りたいからさがしてくれ」という無理なお願いをされた高木の友人たちは当初、あきれ返った。
しかし、持ち前の熱さと行動力で彼は事務所を確保。友人たちの協力を得て立ち上げたその会社は、「明光商会(めいこうしょうかい)」といい、のちにシュレッダー界では抜群の知名度を誇るようになる。
スポンサーリンク
【追加雑学②】シュレッダー第1号は「鉄の箱」とよばれていた
1960年、そば屋の製麺機をヒントに開発されたシュレッダー第1号は、「鉄の箱」とよばれていた。なぜそのような呼び名がついたか、というと…厚い銅板や鋳物(いもの・金属を溶かして固めてできた金属製品のこと)を材料にかなり頑丈なつくりであったからである。
鉄でできためちゃめちゃ重いそれは、2階から落としても壊れないといわれていたそうだ。現在の軽くて持ち運びにも便利なシュレッダーとは似ても似つかない。
【追加雑学③】情報を守れ!産業スパイとシュレッダー
そうして生まれたシュレッダーだが、発売当初はあまり売れなかった。機械をわざわざ購入してまで情報を守ろうという会社がそこまで多くなかったからである。
しかし、時代の波に乗って状況は変化する。1964年ごろには、産業スパイ(企業の技術や秘密情報を不正に入手するスパイ行為を働く者のこと)が横行するようになったのだ。
これにより、それまでシュレッダーを導入することに渋っていた会社が、自社の情報を守ることへの重要性を理解し、シュレッダーは大きく売り上げを伸ばしていくことになった。
雑学まとめ
シュレッダーについての雑学をご紹介してきたが、いかがだっただろうか。高木氏の仕事への熱い情熱と、「製麺機」から生み出されたシュレッダー。今では2005年にできた個人情報保護法の施行により、自身の情報を守ることへの意識が高まり、一般の家庭にも身近な存在になった。
手回しで手軽に使える安価な家庭用シュレッダーなども、高木氏の一歩がなければこの世に生まれていなかったのかもしれない。自分の身を守るためにも、家庭に一台シュレッダーを置いておこうではないか。