日本プロボクシング界の歴史を紐解くと、これまで数々の世界チャンピオンが誕生してきたことがわかる。記憶に新しいところでは、WBA世界ミドル級チャンピオンの村田諒太選手や世界3階級制覇を成し遂げた井上尚弥選手など、日本人選手の活躍はめざましいものがある。
ところで、日本の歴代世界チャンピオンのなかで、一番多く「世界王座連続防衛」に成功したのはどの選手なのだろうか。気になってこの雑学について調べてみると…なんとびっくり! その選手は、現在タレントとしてもお茶の間の人気を博すあの人だったのだ!
【スポーツ雑学】日本一"世界玉座防衛戦"で勝利したのは具志堅用高
【雑学解説】WBA世界ジュニアフライ級王座を13度連続防衛した「具志堅用高」
ボクサーならば一度は夢見る「世界チャンピオン」。
日本のプロボクシング界では、これまで数多くの世界チャンピオンが誕生してきた。なかでも日本男子のプロボクサーで、13度の「世界王座連続防衛記録」を誇るのが、現在タレントとしても活動する具志堅用高である。
具志堅は沖縄県石垣市に生まれた、元ジュニアフライ級(現ライトフライ級)の世界チャンピオンである。プロ通算の戦績は24戦23勝(15KO)1敗。その積極果敢なボクシングスタイルは、地元の石垣島などに棲息する「カンムリワシ」になぞらえられた。
彼がボクシングを始めたのは高校時代。高校3年生のときに、夏のインターハイで優勝し、高校卒業後は、ボクシングの名門「協栄ジム」へ入門した。プロデビューはフライ級で飾ったものの、その後、ジュニアフライ級(現ライトフライ級)へ転向した。
そして運命の日を迎える。1976年10月10日、具志堅はドミニカ共和国のボクサーであるファン・ホセ・グスマンとWBA世界ジュニアフライ級のタイトルをかけて対戦する。実際の映像をご覧いただこう。
グスマンの繰り出すパンチは、伝説のボクサー「モハメド・アリ」と対戦したことでも有名な、元世界ヘビー級チャンピオン「ジョージ・フォアマン」を思わせたことから、「リトル・フォアマン」との異名をもつ強敵だった。
試合前は劣勢に見られていた具志堅だが、試合開始から積極的にパンチを繰り出し、グスマンを圧倒する。迎えた第7ラウンド、彼は相手を見事にKOし、世界チャンピオンに輝いた。
プロデビューからわずか9戦目で世界チャンピオンに輝いたのは、当時の最短記録だった。この記録は約20年ものあいだ、破られることはなかった。
その後も具志堅は、並みいる挑戦者を次々と倒していった。1980年10月12日、メキシコ人ボクサーのペドロ・フローレスを15回判定で破り、WBA世界ジュニアフライ級タイトルの防衛記録を13に伸ばした。
翌年、地元の沖縄で、前回判定で下したペドロ・フローレスと再戦し、2度のKOを奪われ負けを喫したことから、連続防衛記録は途切れたが、男子のプロボクシングにおいて、13度の「世界王座連続防衛記録」を果たしたのは、日本では史上彼1人だけである。
大らかな性格とお茶目な発言でテレビでも人気を博す「具志堅用高」。タレントとしての愛嬌あふれるキャラクターからは考えられない偉大な記録を打ち立てていたのだ。
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【追加トリビア①】世界のプロボクシング選手で「世界王座連続防衛記録」をもつ人物は?
日本人のプロボクシング選手で、世界チャンピオンのタイトルを連続防衛したのは13回の記録をもつ、具志堅用高だった。では、世界最多の連続防衛記録をもつ人物は誰なのだろうか。
その記録をもつ人物こそ、アメリカの黒人ボクサーで元WBA(当時はNBA)ボクシング世界ヘビー級チャンピオンだったジョー・ルイスである。その防衛記録は25回を数えた。彼が繰り出す精度の高いパンチは「褐色の爆撃機(ブラウン・ボンバー)」と呼ばれた。
ジョー・ルイスは、アメリカ・アラバマ州で生まれたプロボクサーで、18歳でアマチュアボクシング選手になった。1934年にはアメリカのアマチュア・ライトヘビー級チャンピオンを獲得し、プロへ転向する。
1937年には、一時はプロボクサーを退きながらも世界王者の座に上り詰めたジェームス・ジュニア・ブラドックと対戦。ジョー・ルイスは、8ラウンドKO勝ちを飾り、見事に世界ヘビー級チャンピオンの座に輝く。ここで18度目の防衛戦の相手ビリー・コンとの試合をご覧いただこう。
1948年6月25日、彼は挑戦者のジャーシー・ジョー・ウォルコットと試合を行い、見事にタイトルを防衛。この勝利によって連続防衛回数は25回に達した。
翌年に一時現役を引退するものの、その後カムバックしてボクサーを続けていたジョー・ルイス。だが、1951年、映画「ロッキー」のモデルの人物となった生涯無敗のボクサーロッキー・マルシアノに敗れて引退を決断。プロ通算の成績は、70戦67勝(53KO)3敗だった。
【追加トリビア②】チャンピオンベルトは買い取り制だった
ボクサーの誰もが夢見る「世界チャンピオン」。その象徴といえるのが、世界の頂点に立った際に腰に巻くチャンピオンベルトではないだろうか。だが、このチャンピオンベルト、実は買い取り制だったことをご存知だろうか。
テレビでこんな光景を見たことがあるだろう。ボクシングのタイトルマッチで、挑戦者が勝った場合、その選手がチャンピオンベルトを巻く姿を。だが、これはあくまで形式的に行われるセレモニーで、そのベルトは試合後に、試合に負けた元チャンピオンに戻される。
というのも、チャンピオンベルトは買い取り制になっており、新たにチャンピオンに輝いた選手のベルトは、後日作成して選手のもとに届けられることになる。世界戦が行われる場合、挑戦者側のプロモーターが統括団体に支払う承認料のなかに、すでに数十万円前後のベルト代が含まれているというのだ。
この話はあくまで世界タイトル戦に限られた話で、日本ボクシング協会(JBC)が行う国内タイトルマッチの場合、チャンピオンのベルトは持ち回り制と決められている。
世界の頂点に立った証「チャンピオンベルト」が買い取り制だったことは、実際に世界チャンピオンになって初めて知るボクサーもいるようである。それほど、選手にとっても意外な事実のようだ。
雑学まとめ
以上、日本のプロボクシング選手で「世界王座連続防衛記録」をもつ日本記録と、その世界記録および、チャンピオンベルトの雑学についてご紹介してきた。
現在はテレビタレントとして多くのバラエティー番組に出演する具志堅用高。お茶の間の人気を博す彼が、ボクサーとして打ち立てた世界王座連続防衛記録は、現在も破られてない不滅の記録だ。
その記録と、彼のキャラクターのギャップとのアンバランスさが、彼の人間としての奥深さを感じさせ、大きな魅力になっていることは間違いない。