日本にキリスト教をもたらしたイエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエル。歴史の教科書でお馴染みの人物である。ところで、日本へ渡来した後のザビエルの消息をご存知だろうか。
彼は日本を去った後、布教活動のために中国へ渡り、熱病のために亡くなっていたのである。彼の遺体は現在、インド・ゴアの教会に埋葬されているという。
この記事では、歴史の授業でお馴染みのフランシスコ・ザビエルがインド・ゴアへ埋葬された経緯についての雑学をご紹介する。
【歴史雑学】フランシスコ・ザビエルの遺体はインドで見ることができる
【雑学解説】フランシスコ・ザビエルの遺体はインド・ゴアにあるボム・ジーザス教会にある
イエズス会の宣教師として、日本へキリスト教をもたらしたフランシスコ・ザビエル。彼は日本を離れた後、ポルトガル王の命を受け、アジアにおける布教活動の拠点だったインド・ゴア経由で中国へと渡った。
だが1552年12月、中国での布教活動のさなか、熱病のためにこの世を去った。彼の遺体はその弟子たちによってインド南部のゴアにある「ボム・ジーザス(ボンジェズ教会)教会」に葬られた。その経緯を詳しくご紹介しよう。
フランシスコ・ザビエルがインド・ゴアから日本へ渡来したのは、1549年8月15日のことだった。翌年9月、当時、薩摩国(さつまこく)の守護大名を務めていた島津貴久(しまづたかひさ)に、当地での布教活動の許可を得る。
その後、九州を中心に布教活動を行なったが、その成果は一部の地域に留まるもので、決して芳しいものとはいえなかった。そこでザビエルは、日本文化に大きな影響を与えている中国での布教活動を開始するため、1551年9月、中国広東省・上川島(じょうせんとう)へ上陸。
そこでフランシスコ・ザビエルは熱病を発症し、同年12月3日、46歳でこの世を去った。ザビエルの遺体は、かの地で葬られたが、その遺体は弟子たちの手により、インド・ゴアにある「ボム・ジーザス教会」へ埋葬された。
現在も、フランシスコ・ザビエルの遺骸(ミイラ)は、10年に1度、同教会で一般公開されている。直近では2014年に一般公開された。実際の映像をご覧いただこう。ザビエルの遺骸を確認できるだろう。
遺体が公開される際は、その光景を一目見ようと、500万人以上もの見物客が訪れるという。また、彼が世を去った12月3日は「ザビエルの記念日」に制定されており、スペインをはじめとする欧州各国では、ミサが執り行われるという。
遠い時代の人物にしか感じられないフランシスコ・ザビエルだが、彼の遺骸は500年以上の時を超えてもなお、信者のあいだで大切に保管されていたのである。
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【追加雑学】なぜフランシスコ・ザビエルの遺体はインドにあるの?
ヒンドゥー教徒が国民の90パーセントを占めるインドにおいて、イエズス会の宣教師だったザビエルの遺体が葬られていることを疑問に思った方がいるかもしれない。インド・ゴアにキリスト教徒がいるのは、その歴史にルーツをもっている。
フランシスコ・ザビエルの遺骸が安置された教会のある、インド西岸に位置する港町・ゴアは、16世紀、ポルトガルによって植民地にされていた街だ。
16世紀初め、ゴアはイスラーム王朝の重要都市となっていた。しかし、1510年にポルトガルのインド総督「アフォンソ・デ・アルブケルケ」という人物がこの地へ侵攻し、ゴアを占領する。
これを機に、ゴアはポルトガルがアジアにキリスト教(ローマ教会)を布教するための一大拠点となった。また17世紀に入ると、インド・ゴアは「東洋のローマ」と呼ばれる黄金時代を迎えることに。
このようにゴアでは、1510年にポルトガルの植民地となってから、20世紀までその支配が続いていたのだ。
その影響から、ゴアではキリスト教化が進み、ポルトガルの首都・リスボンを模したヨーロッパ風の街が形成されていったのである。
当時のゴアの人口は20万人にも達し、町内にはキリスト教の聖堂や修道院などの壮麗な建物が立ち並んだという。その影響から、現在においてもインド・ゴアには、アジアにおけるキリスト教の活動拠点だった痕跡が残されている。
ザビエルの遺体が葬られた「ボム・ジーザス(ボンジェズ)教会」もそのひとつである。なお、ポルトガルの植民地時代に建造された当地のキリスト教建築は「ゴアの聖堂と修道院」として、1986年にユネスコ世界遺産に登録された。
現在、インド・ゴアは歴史的な建物と文化が残るリゾート地として、観光客の人気を集めている。
雑学まとめ
以上、フランシスコ・ザビエルの遺体がインド・ゴアの教会に葬られているというトリビアと、アジアへキリスト教を布教する一大拠点となった、ゴアにまつわる雑学をご紹介してきた。
ザビエルが布教活動のために、中国へ渡っていたことはもとより、彼の遺体がインドに葬られていることに驚いた方もいるかもしれない。
フランシスコ・ザビエルは、キリスト教を布教する使命感から海を渡り、遠い異国で生涯を閉じたのである。その偉大な功績は、現在もなお、信者たちのあいだで息づいている。
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