今の世の中、どの国どの人種として生まれたか、お金持ちの家に生まれるか、そうでないかなどについて、不平等と感じることは多いだろう。
だが、「死」について逃れられる人は皆無で、人類の長い歴史からみても永遠に生きている人は誰ひとりいない。この不平等な世の中で、唯一平等なのが「死」。
そう! 人は、生まれた瞬間から「死」に向かっているという点では、みな平等なのだ。
誰もが通る「死」なのにもかかわらず、「死」を迎える瞬間にどうなるのかを、明確に答えれる人はいない。なぜならば、死ななければ分からないからである。
しかし、蘇生した人たちの経験談や多くの専門家によると、「死」を迎える瞬間になると、目は見えなくなり話すことができなくても、耳は聴こえていることが分かっているという。
つまり、人が死ぬときに一番最後に残る感覚は「聴覚」だというのだ。本当にそうなのだろうか? さっそく雑学として紹介していこう!
【人体雑学】人が死ぬときに最後に残る感覚は「聴覚」
【雑学解説】死の直前まである感覚が「聴覚」である理由とは?
死んだ経験がないのに、なぜこのようなことが分かるのか。これには単なる推測ではなく、裏付けるような科学的な研究結果がある。
2014年10月、イギリスのサウサンプトン大学の研究チームが、学術誌「Resuscitation(蘇生)」電子版で発表した「肉体的な死のあとの意識」についての内容を見ると納得できる。
この研究チームは、イギリスとオーストリア、アメリカなどで、心停止から蘇生した患者330人のうち、101人に対して聞き取り調査を実施した。そのうち、39%の患者が、心臓が再始動する前にも意識を自覚していたとの結果が出たという。
そして、その患者の一人は、研究者らが3分間隔で鳴らしたブザー音を「2回聞いた」とも証言したようだ。
心臓が停止するということは、目はもちろん閉じているし話すこともできなくなる。周りからみると、「死んでいる状態」と認識してしまうが、本人は意識があり、耳は聴こえている可能性があるということだ。
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【追加雑学①】最後まで声をかけ続ける理由
科学的な研究結果だけでなく、様々な専門家が数多くの経験をしているようである。
病院やホスピス(死期に近い患者さんに安らぎを与えて、看護する施設)などで働いている人は、患者の親族に対して、「最後まで声をかけ続けてください」と促すようだ。
その理由は、目を開けることや話すことができなくても、聴覚は最後まで残る感覚であることが分かっているから。
実際、ホスピスで働く音楽療法士が、数日間意識がなく昏睡状態の患者に対し、その患者が好む音楽を聴かすと、表情が柔らかくなり微笑むのだという。
それが、一人の患者だけでなく、何人もの患者さんについても同じように効果を発揮することが分かったとき、自ずと「聴覚」は最後まで残っているのだなと感じるようだ。
【追加雑学②】臨終時の会話にはご用心を!
このように、もし多くの死者に周りの声が聴こえているとしたら、最後に聴こえてくる言葉は「感謝の言葉」であってほしい。
間違っても、悪口や遺産の話などは避けてほしいものだ。臨終時の会話には充分に用心したほうが良さそうである。
雑学まとめ
今回は、人が死ぬときに一番最後まで残る感覚についての雑学をご紹介した。生きている人間からすると、心臓が停止して動かなくなっているのに、意識があり耳は聴こえているというのは、にわかに信じがたいと思う。
だが、数多くの経験談や科学的な研究結果から検証すると、人が死ぬときに一番最後に残る感覚は「聴覚」というのは、本当のようである。
実際に死ぬことを試して検証した人は誰もいないし、本人しか分からないことではあるが、どちらにしても、耳だけは最後まで聴こえていると信じて、旅立つ人に安心感を与えてあげるのが理想的ではないだろうか。
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