1979年4月から放送開始された『機動戦士ガンダム』は、以降40年以上シリーズが継続するほどの人気作となった。アムロ・レイは、そんなガンダムシリーズの最初の主人公だ。
続編の『機動戦士Zガンダム』においても主人公こそ交代しているが、アムロは成長した姿で登場する。長きに渡って人気を誇ったキャラクターである。
そんなアムロだが、アニメ終了後に富野由悠季(とみのよしゆき)監督が描いた小説版では、なんと最初のシリーズで死亡してしまう。小説版は、アニメとは大きく異なる作品になっているのだ。
【サブカル雑学】ガンダムの小説版ではアムロが死ぬ
【雑学解説】死亡時の扱いが小説版とアニメで違うアムロ
ガンダムシリーズの最初の作品である『機動戦士ガンダム』は、アニメと小説を比べるとストーリーの展開など、ほとんどが別モノの作品になっている。アニメの人気を受けての小説化なので、ファン心理を考えれば明らかに異質な試みである。
なんでも、小説ということでアニメよりも高い年齢層をターゲットにしたというが、それを踏まえても清々しいぐらいの改変っぷりなのだ。
なかでも読者が驚いたのは、アニメでは続編で英雄的扱いを受ける存在に成長するアムロが、小説では最初のシリーズで早々に死んでしまうことだろう。
ただ別作品といって問題作だとかそういう話ではなく、アニメも小説も、どちらも作りこまれた素晴らしい作品である。むしろ全然違うぶん2倍楽しめる。アムロの死にまつわる経緯を辿っても、両者の作り込み度合いに感服させられるはずだぞ!
アニメにおいてのアムロの最期
小説版がいかにもとんでも展開のような書き方をしたが、アニメのアムロも、実はけっこう物議を醸す最期を迎えている。というより、死んだのか生きているのか、まったくの謎だ。
アニメにおけるアムロの最期が描かれたのは、一応、1988年公開の劇場版『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』ということになっている。この作品でアムロと宿敵シャアは激闘を繰り広げた末、閃光に包まれ、ふたりともが行方不明になる。
"一応"といったのは、アムロは以降作品に登場しないものの、明確に"死んだ"という描写は登場しないからだ。公式設定上もあくまで消息不明となっており、生きているのか死んでいるのかは今でもわからない。
『機動戦士ガンダムUC』ではアムロの遺影が出てくる
2010年にOVA化された『機動戦士ガンダムUC』は『機動戦士ガンダム』の3年後という設定で描かれた作品だ。この作中ではなんと、アムロの遺影が登場する(エピソード4で戦艦ラー・カイラムの艦長室に飾られている)。
ただこれは、消息不明となった者をいつまでも生きている扱いにしてはおけない、という関係者の判断であり、アムロが死んだことを決定づけるものではない。
ちなみに日本の民法30条でも戦時中の遭難者は戦争終結後、1年以上消息がわからなければ死亡扱いになるとされている。戻ってこない人を何年も死亡扱いにできなければ、身辺整理などで困ってしまうからだ。
こういったことから、まだ生きているとしても、アムロの遺影が飾られているのはいたって自然なことだといえる。
最終章の演出はアムロが死亡した証では…?
また同作品の最終章にて『機動戦士ガンダム』で死亡したララァ(アムロの攻撃からシャアをかばって死んだ少女)が精神体となって登場するのだが、そのときシャアとアムロも精神体となって出てくる。
この演出もまた、アムロがすでに死んでいることを表しているのでは…? と、ファンから推測されているぞ。3人は「後のことは次の世代に任せよう」のような旨の会話をしており、あたかもこれから成仏するとでもいうような雰囲気だ。
ただこの描写について原作者である福井晴敏先生は「生霊かもしれない」とはぐらかしており、死亡とは限らず、あくまで消息不明という公式設定が貫かれているのだ。
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小説におけるアムロの最期
小説におけるアムロは、最終巻にてシャアとの戦いで戦死してしまう。しかもトドメを刺したのはシャアではなく、シャアの部下という、これまた「なんで!?」となる展開だ。
アニメではあれほど分かり合えなかったアムロとシャアだが、小説では最終的に和解の道を辿る。なんとこの状況をシャアの部下が理解しておらず、気を抜いたアムロを「今だ!」と撃墜してしまうのだ。
…せっかく和解できたのに!? これ、めっちゃ辛い…。
アムロの死がきっかけでシャアとペガサスの乗員が和解
ただ小説版は、アムロが死んだことが引き金となってクライマックスを迎える。
死んだアムロの意識は戦場全体に行き渡り、ジオン軍と地球連邦軍が和解することになる。英雄の死が戦争を終わらせる展開になっているわけだ!
アムロを始め、作中に登場する「ニュータイプ」と呼ばれる者は、人の考えを読み取る特殊能力を身に付けている。これは本来「誤解なくわかり合える能力」とされているが、アニメでは戦闘に利用されるだけだ。
しかし小説ではニュータイプであるアムロの能力によって、ジオン軍と地球連邦軍が誤解なくわかり合える結末にいたったのである。
この側面から、小説『機動戦士ガンダム』の結末は"ニュータイプの本質を描いている"とも評されている。アムロをそんなに早々に殺していいのか…? なんて思っていたら、いかにも主人公らしい死に様じゃないか!
アニメではまったくの生死不明、小説では名誉の戦死。まったく別モノの問題作かと思いきや、どちらもファンの期待を裏切らない設定が作りこまれている。
【追加雑学①】アニメとこんなに違う!小説版のアムロの設定
アニメと小説でのアムロの扱いは死亡時のみならず、人物像的なものまでもうガラッと違う。
アニメのアムロは戦争に巻き込まれる形でガンダムのパイロットになった。しかしなんと小説版の彼は物語がスタートした時点ですでに軍人の設定だ。
軍人のアムロは当たり前のように殴られており、「おやじにもぶたれたことないのに!」という有名なセリフも登場しない。…なよなよしてないアムロなんて…。
またシャアの妹、セイラ・マスとアムロが恋人になったうえ、肉体関係をもつなど、アニメを知っている人から見ると「マジか…」となる展開が多数用意されている。…アムロが色恋沙汰なんて…。
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【追加雑学②】小説版ではシャアがガルマを謀殺しない
アムロの宿敵シャア・アズナブルはガンダムの影の主役とも呼べるキャラクターだ。本名はキャスバル・レム・ダイクンであり、ジオンという国家を作ったジオン・ズム・ダイクンの実子である。
シャアは、ジオンを支配しているザビ家が父の命を奪ったと考えており、その復讐のために名を偽り軍人としてザビ家に近付いていく。シャア・アズナブルは偽名で、彼は名前を偽ることでジオンの軍人になったのだ。
シャアはアニメ版でも小説版でもザビ家の御曹司ガルマ・ザビと、素性を隠して親しくなっており、表面的には友人として振る舞っている。
しかし本音は父の命を奪った張本人の息子という恨みをもっており、アニメではそんなガルマを騙して敵の攻撃の標的になるように仕向け、殺してしまうのだ。
ガルマはザビ家の御曹司だが、その立場のせいでお飾りと呼ばれることを嫌い、手柄を焦っている。アニメ版ではシャアがここに付け込んで、ガルマが無謀な攻撃をしかけるように仕向け、見殺しにするのだ。
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小説版のシャアは悪人になり切れない
小説版ではこのシャアとガルマを巡る展開が全く違うものになっている。アニメと同じくガルマは手柄を焦っているが、シャアは友情のために本気でガルマに手柄を立てさせようとするのだ。自分自身の身を危険にさらして、援護するシャアの友情は本物である。
またガルマが無謀な攻撃をしかけようとした際には、「よせガルマ!」と叫び全力で止めている。シャア自身「見殺しにすれば仇が討てる」と心の中で考えてはいるものの、見捨てることができず、助けようとしているのだ。
どちらにせよ結局、ガルマは死んでしまうのだが…。
アニメの冷酷なシャアのイメージとは正反対で、小説のシャアは悪人になれず、復讐に徹することができない。だからこそ、アムロと和解するという展開にも行き着いたのだろう。
雑学まとめ
今回は「ガンダムの小説版ではアムロが死ぬ」という雑学を紹介した。
実はアニメでも、もともとはアムロは死ぬ予定だったという。しかし予定が大きく変更され、変更前の展開を一部取り入れたのが小説版のガンダムだといわれている。
アニメがより低い視聴者層を意識したものというなら、小説という大人向けの読み物で、本来そうなるはずだったストーリーを描いたのは最適解だ。
小説版をまだ読んだことがないという人も、これを機に一度目を通してみてほしい。アニメとはちょっと…いや、大分違う大人なガンダムを堪能できるぞ!