ミイラと言えば、エジプトのイメージだ。ピラミッドの棺桶の中に眠るミイラは、古代エジプトでは来世での復活が信じられており、そのために肉体を保存し、守るために作られたといわれている。
が! 江戸時代の日本では、ミイラを薬として利用していたというのだ! 考えただけでぞっとする話である。子供の頃は、ミイラの写真など目を背けたくなる怖さがあった。大人になった今でもあまり気持ちの良いものではない。
そもそも、ミイラをどうやって薬に使っていたというのだろうか…。そして、ミイラは何に効くのだ!? 今回は、そんな謎多きミイラの雑学に迫る!
【歴史雑学】江戸時代、日本では「ミイラ」を「薬」として利用していた
【雑学解説】江戸時代、ミイラは薬として輸入されていた
実は、日本にもミイラが残っている。袈裟を着て座禅をしたままの形で残っているお坊さんのミイラだ。「即身仏」と呼ばれ、ミイラと言うより仏様である。
も、もちろん! 薬として利用されていたのは、日本のミイラではない…。まずここは、ほっとしていただきたいところだ。
長崎商館の仕訳帳によると、1673年にオランダ船から300kgのミイラが長崎に入ってきた、と記録に残っている。300kgのミイラ…。完全乾燥したミイラは5kgほどだと言われているので、なんと約60体のミイラが輸入されていたのだ!
そして、輸入されたミイラは粉末状にして、薬として飲用されていたようだ。効能があるからこその薬なのだが、薬だと言われても、それは乾燥した人間であることには変わりない…。
その乾燥人間を飲む…。ホラーである。
【追加雑学①】ミイラの効能とは!?
では、ミイラはどのような効能があるのだろうか。江戸時代の人々は、朝鮮人参と同じような万能薬だと信じていたようだ。
薬効としては、肺病・子宮の出血・胃腸炎・めまい・頭痛など。また、水で練って体に貼る、今で言うシップのような使い方もされており、まさに万能薬。
飲み薬としても貼り薬としても使える、薬草のような感覚だろうか。良薬口に苦しと言うが、果たしてミイラの味は…。考えただけでも胸がつかえる。
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【追加雑学②】人気はエジプト産だった
当時、ミイラの薬は世界で大人気で、かなりの高値だったようだ。しかしいつの時代も、商売になるものは必ず粗悪品も出てくる。
ミイラの本場「エジプト産」といえば高値で売れるほどのミイラブームで、これに目をつけたアラブ商人が、奴隷の遺体で即席ミイラを作り、エジプト産と銘打って売りつけていたようだ。
乾燥してしまえば、エジプト人であろうとその他の国の人間であろうと、変わりはない。原産地を偽ることは今の時代でも良くある話だが、当時もそうやって商売にする者がいたのだ。
「本場」というフレーズに人間は弱い。私も弱い。
しかし…日本に入ってきたミイラが、果たして本場エジプト産だったのかどうかは定かではない。
【追加雑学③】徳川吉宗もミイラを注文していた!
初めて長崎にミイラが入ってきたのは1673年。そして1743年に、第8代将軍である徳川吉宗から注文が入ったとの記録が残っている。
初めて輸入されてから70年間…。江戸時代の日本は、ミイラの主要輸出先のひとつだった。江戸時代の将軍や大名に大変人気があり、万能薬として愛用されたほど、ミイラは薬としてメジャーな存在だったようだ。
最初に服用したのは豊臣秀吉!?
実は江戸時代以前、豊臣秀吉に献上された薬として、なんとミイラの名前が残っており、もしかすると日本で最初にミイラを服用したのは豊臣秀吉だった…かもしれない。
雑学まとめ
今回は、ミイラについての雑学を紹介した。想像しただけでもぞっとする話だが、当時は商売のために即席で作られる死体が山ほどあり、絵の具や肥料にも使われていたようだ。
しかし、実は薬としてとても効果がある岩塩アスファルト「万能薬ムンミヤ」を、翻訳家が「万能薬ミイラ」と訳し間違えたことがきっかけで、ミイラブームになったという話も残っている。
それが本当なら、即席ミイラにされた人、薬と信じて飲んでいた人、どちらも可哀想でならない。
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