世界三大美人といえば、エジプトの「クレオパトラ」・中国の「楊貴妃(ようきひ)」・日本の「小野小町(おののこまち)」である。
もはや常識ともいえるこのラインナップ。しかしよく考えると世界はとっても広いのに、日本人がランクインしているのってすごいことではないか。
美人が多いといわれる秋田県には「あきたこまち」というお米があるし、美人を表す際にも「○○小町」という表現はおなじみだ。その由来となっている小野小町って…そんなに美人だったのかなあ…。
しかし実のところ、小野小町は美人ではなかった可能性が高い。え…? でも、美人として浸透してるじゃないか。
と、思うかもしれないが、これには平安時代と現代の恋愛スタイルの違いが関係しているのだ。今回はそんな「小野小町は美人じゃないかも」という雑学を紹介しよう。
【歴史雑学】小野小町は美人じゃないかも…!その理由とは?【世界三大美女】
【雑学解説】小野小町は「平安」美人だった?
小野小町が平安時代前期、その才能を高く評価された歌人であることはたしかだ。しかしその実、本当に美人であったかどうかは、正直なところわからない。
出生(一説には秋田県ともいわれているが)、活動年数といった経歴もほとんど謎だし、肖像画なども残っていないからだ。
当時は貴族などの身分の高い女性は、親族以外の人に顔を見せることがタブーとされていたため、実際に顔を見たことがある人すら、ほとんどいない。そのため彼女のプロフィールは千年以上、謎のままである。
…え、じゃあ、なんで三大美人に数えられてんだよ。という話だ。
これには当時の日本人の美人の基準が、現代とは大きく違っていたことが関係している。
小野小町が美人だと思われている理由
前述したように、平安貴族の女性たちは人前にその素顔をさらすことがほとんどない。よって恋愛も基本は和歌のやり取りなどで行われ、会話をしたとしても、すだれ越しでシルエットしかわからない状態である。
素顔が見られるのは、そういったやり取りを通して夜這いの許可が出た男性だけだ。つまり顔というよりも話し方や文章の雰囲気が、美人の条件を大きく占めていたわけである。
…実際夜這いをかけてみてお顔が残念だったら目も当てられない気もするが、とにかく平安時代は美人の条件として…
- 品性
- 教養
- 和歌の巧さ
といった、内面的なことに重点が置かれていたわけだ。
その点、和歌ウマ筆頭の歌仙である小野小町はたとえブスでも、めちゃくちゃモテる。
「あんなに素敵な和歌を詠むんだ。見た目も綺麗に違いない!」と、数多くの平安男子たちが夢を見たことだろう。実際多くの男性と関係をもったのだろうが、実際の顔面がどうだったのかはわからない。
彼女は生涯独身だったというし…ひょっとすると…。
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平安時代の美人の感覚がスゴい
平安時代は見てくれより内面的な要素が美人の条件だったと触れたが、見てくれの条件ももちろんある。
- 長い黒髪
- のっぺり、ぽっちゃりとした顔
- 色白
- 小さくて切れ長の目
- おちょぼ口
- 小さくて筋の通った鼻
すだれ越しに会話をするにも、シルエットはぽっちゃり体型の人が好まれていたという。このほかに声が綺麗だったり、楽器ができたりすることも条件に含まれていた。
…加えて眉毛はおじゃる丸である。
黒髪とか色白はわかるけど…これっていわゆる、オカメさんだよね。
現代では目を大きく見せる化粧をしている人も多いし、人気の女性芸能人は軒並みスリムである。…明らかに美人の感覚が異なるぞ。
そして小野小町も、百人一首の歌札で描かれるものは例にもれずオカメさんである。後ろを向いているものや、扇で顔を隠しているものもあるが、顔が見えるものは絶対にオカメさんだ。
今日は #百人一首 の日。当館にも、百人一首にちなんだ作品が所蔵されておるぞ。こちらは #歌川国芳 筆「百人一首之内 小野小町」じゃ。「花の色は 移りにけりないたづらに わが身世にふる ながめせしまに」。散りゆく花を眺める表情がなんとも切ないのう。#歌川 #国芳 pic.twitter.com/Tb4hOY2i81
— 神奈川県立歴史博物館 (@kanagawa_museum) May 27, 2018
紫式部や清少納言もみんなオカメさん。平安時代の女性はみんなこの容姿を目指してオシャレをしていたわけである。
そのため、転生なんかしちゃって現代の感覚で小野小町と会うことがあれば、まず高確率で美人とは思わないはずだ。というかちょっと怖いかもしれない。
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【追加雑学①】「小野小町美人説」は勘違いされた結果…?
小野小町が平安時代に著名な歌人となったのは、『古今和歌集』が編集される際、その編者のひとりである「紀貫之(きのつらゆき)」という歌人に評価されたのがきっかけだ。
実は、彼が小野小町について書いた文章を後世の者が間違って解釈し、美人とされるようになったという説もある。
古今和歌集は醍醐天皇の命によって作られた和歌集で、紀貫之はその序文を記したほど、実力のある歌人だった。
小野小町はそんな紀貫之をして20ばかりの和歌を選出され、その序文を通して、平安初期の歌人で6本の指に入る「六歌仙」に数えさせたほど、優れた歌人と評価されたのだ。
同時に紀貫之は、序文にこんな一文を残している。
小野小町は、いにしえの衣通姫の流なり。あはれなるやうにて、強からず。言はば、よき女の悩めるところあるに似たり。
衣通姫(そとおりひめ)というのは、『日本書紀』『古事記』などに登場する伝承上の女性で、和歌を詠むことに秀でており、和歌三神のひとりにも数えられた人物だ。
その風貌は、衣をまとっていても美しさが損なわれないことから衣通姫の名がついた絶世の美女である。いわゆる伝説の類なので、いってしまえば女神に近いニュアンスだ。
で…紀貫之がそんな伝説の美女と小野小町を同列に並べたわけだが…、これはあくまで「和歌の雰囲気が似てるよね」と言っているだけだ。
しかしそれを読む後世の人たちからしてみれば、和歌がどうのより、小野小町が美人かどうかのほうが気になる。こうして紀貫之の序文が誤読され、「小野小町は衣通姫に似ている」と解釈された説があるのだ。
当時の人たちは「うおお! やっぱ小野小町は伝説的に可愛かったのか!」と勝手に盛り上がっていたのかもしれない。
そもそも紀貫之は小野小町の時代より80年ほど後に生きた人だから、見てくれなど知るはずもないのだが。
小野小町の激モテ話『百夜通い』
こうして絶世の美女であると誤解された小野小町は、後世の作品においてその美しさが取り沙汰されていくことになる。有名なのは室町時代に制作された『百夜通い(ももよがよい)』という能作品だ。
これがけっこう可哀想な話で…あらすじをざっくり説明するとこんな感じである。
深草少将(ふかくさのしょうしょう)という男が小野小町に恋をし、恋文を送ると彼女は「私のもとへ百夜通ったら、あなたの意のままになりましょう」と答えた。
これは深草少将が小野小町のタイプではなかったため、諦めさせるための手段だったのだが、なんと彼はこの百夜通いをやってのけようとする。
しかし結局、深草少将は雪の降る最後の晩に行き倒れ、その想いが成就することはなかったのだ。
小町さん…せめて80日目ぐらいで止めてやれよ…。
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【追加雑学②】小野小町の残した和歌がエグい
せっかくなので、紀貫之がそこまでお気に入りだったという小野小町の和歌についても触れておこう。
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
小野小町の和歌のなかでも、特に有名な一節だ。
意味としては「あれこれと物思いにふけっているあいだに、桜も色あせてしまった、ちょうど私の美しさが衰えてしまったように」という感じ。
「衰えて」という表現から、晩年に詠まれたものなのだろう。自身のかつての美しさを思い出し、現在とのギャップに苦しんでいるような…。
待てよ…? 小野小町ってそんなにナルシストなのか? それって平安美女の慎ましやかな雰囲気とはイメージが違う気がするのだが…。
ちなみに小野小町の晩年はかなり悲惨だったという。
一説では病にかかって老いさらばえていく自身を儚みつつ、その生活も落ちぶれてしまったのだとか。なるほど…それなら若いころの自分をうらやむ気持ちもわからなくない。
彼女を取り上げた芸術作品には、老いた小野小町が登場する「卒塔婆小町(そとばこまち)」という能の演目、死体となり朽ちていくさまを絵で表現した「小野小町九相図(おののこまちくそうず)」というものなど、なかなかえげつないものも多い。
以下の動画では九相図が紹介されている。三人の女性の死が描かれ、小野小町は3番目、1:10~映されているぞ。グロ耐性のない人は閲覧注意である…。
なお、小野小町のお墓や彼女が祀られている場所は、なぜか日本のいたるところにある。
実際に亡くなった土地がわからず、晩年が壮絶だったとされることもまた、小野小町のミステリアスな側面を際立たせているのだ。
【追加雑学③】海外の世界三大美女に小野小町は入っていない
実のところ、小野小町を世界三大美人のひとりに入れているのは、ほぼ日本人だけである。
え…世界三大美人って共通じゃないの!? と驚かされるが、この「三大○○」という考え方は日本発祥のもので、海外ではあまり浸透していない。そのため三人目の小野小町が認識されていないことも多いのだ。
しかも「世界三大美人」が知られている場合でも、クレオパトラと楊貴妃はほとんど変わらないが、三人目はだいたい、ギリシャ神話に登場する「ヘレネー」という女神にされていることが多い。
そのほか、紀元前200年ごろの中国の武将・項羽の妻「虞美人(ぐびじん)」が絡んできたり、国によってさまざまなパターンがある。
というか、顔すらわからない小野小町がランクインしているあたり、「自国の人をどうしても入れたい」という、日本人の意地みたいなものかもね…。
以下の記事ではクレオパトラや楊貴妃についても触れているぞ!
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小野小町の雑学まとめ
今回は「世界三大美人・小野小町は美人じゃないかも?」という雑学を紹介した。
現代の感覚からは外れるものの、平安時代の感覚では美人ともいえるし…やっぱり美人だったってことでいいかも。
もっとも三大美人に選ばれたことを小野小町が知ったら、ナルシストな彼女のことだから「まあ、当然かしら」という感じなのだろうが。
最後にひとつ、「現代での美人」という部分も結局は人の好みによるし、オカメさんが当てはまらないというのもあくまで一意見だ。筆者はふっくらした女の子も可愛いと思う。
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