神社に参拝すると、お守りを購入する人は多いだろう。今となっては様々な形のお守りが増えたが、昔ながらのお守りの形といえば、袋状の形をした物だ。
そういったお守りを見ると、1度はこんなことを思ったことはないだろうか?
「お守りの中身って、何だろう?」と。
しかし、お守りは一般的に「中身を見てはいけない」といわれているので、むやみにお守りの中を見ることはできない人もいるかもしれない。
今回の記事では、見たいけど見れない、お守りの中身についての雑学について解説していこう。
【生活雑学】お守りの中に入っているのは「木札」
【雑学解説】「お札」を小型化したのが「お守り」
実をいうと、私は昔お守りの中身を見たことがある。何年も前に買ってもらって、放置していたお守りだったので、「見ちゃいけないのは知ってるけど、良いかな」と思って開けてみたのだ。そこにはたしかに、白い紙に包まれた木札があった。
その木札に何か書かれていたことは覚えているのだが、なにしろ昔のことなので細かいところまでは覚えていない。
それにしても、なぜ「木札」なのか? それを解説するには、そもそもお守りがどういったものなのかを知る必要がある。
そもそもお守りってなに?
神社で、神様や神社の名前が書かれたお札(ふだ)が販売されているのを見たことはないだろうか? あれは神棚に置くお札なのだが、そのお札を小型化したものがお守りとなっているのだ。入れ物である袋の方ではなく、お札がお守りである。
もちろん、お守りもお札と同じように祈祷されたもので、神様の力を宿したものであると考えられている。一見するとただの小さな板切れにしか見えないが、特別なものであることに変わりはない。
お守りの木札は、お札と同じように神様の名前が書かれていたり、絵が描かれていることがある。反対に何も書かれていない木札が入っていたのを、私は見たことがある。
ちなみに、お守りの中身は木札だけでなく、紙切れのこともあれば金属片であることもある。木札でなくても、神様の力を宿したものであることに変わりはない。
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【追加雑学】なぜお守りの中身を見てはいけないのか?
「お守りの中身を見てはいけない」と聞いたことはないだろうか? 私は祖母から何回か言われたことがある。どうしてお守りの中身を見てはいけないのだろうか。それには、いくつか理由がある。
「効果がなくなる」
まずは、「効果がなくなるから」というもの。お守りの袋を開けてしまうと、そこから神様の力が出て行ってしまうという考えによるものだろう。
罰が当たる
次にいわれるのが、「罰が当たるから」。お守りの中身は、木札であっても紙切れであっても、神様と同じような存在だ。神様が宿っているという考えもある。
つまり、お守りの中身を見ることは、神様を見ることと同じだ。「神の姿を見ようとは罰当たりな!」という考えから、「罰が当たるから中身を見てはいけない」と言われるようになったのだろう。
ちなみに、私は中身を見てしまったが、これといって「罰」と思えるようなものには当たってはいない。
雑学まとめ
今回はお守りにまつわる雑学をご紹介してきたが、いかがだっただろうか。
お守りは、もともとお札を小型化したものだ。なので、お守りの中身は木札であったり、紙であったりする。きちんと祈祷されて作られているので、ただの木札や紙切れにしか見えなくても、そこには神様の力や神様自体が宿っていると考えられている。
なので、中身が木札や紙であると知っても「なぁんだ」と思わずに、大切に扱っておきたい。
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