ゲートボールといえば、運動量が少ないため体への負担も少なく、ご高齢の方に人気のスポーツである。平日の昼間、近所の公園や広場でゲートボールに興じているおじいさまやおばあさまたちの姿をよく見かけるものだ。
そのようなゲートボールだが、考案者はなんとパン屋さんだったらしい。ゲートボールとパン屋、一見すると何の関係もないように思えるが、このうわさは事実なのだろうか。今回の雑学ではこのうわさの真相に迫っていく!
【スポーツ雑学】ゲートボールを考案したのはパン屋さん
【雑学解説】パン屋の鈴木さんがゲートボールを考案した
ゲートボールを考案したのは、パン屋をしていた鈴木栄治さんだったといわれている。1947年、北海道芽室町でのことだ。
当時は戦後間もない厳しい時代であった。遊び道具もなく「こんな状況では子どもは健全に育たない」と危機感を抱き、青少年の不良化を防止し健全に育ってもらうために、手軽に出来る遊びとしてゲートボールを考案したそうだ。
フランスの「クロッケー(芝生の上に数個の鉄製の小門を並べ、木槌で木製の球を打って小門を通過させる競技)」をヒントにし、野球のようなチームスポーツの面白さやビリヤードから打撃のヒントを得るなど、さまざまなスポーツを参考にして編み出したのだそう。
パン屋をしながら、片手間に子どもたちのためにゲートボールを考案するとは、親切で器用なおじさまである。
ゲートボール発案者の鈴木さんは材木関係の仕事もしていた
考案者の鈴木さんは、パン屋になる前に、材木関係の仕事や運送屋もしていたことがあったようだ。戦後の混乱下、いろいろな仕事に挑戦していたらしい。スティックという木槌で木のボールを打つというゲートボールのスタイルは、この材木関係の仕事が関係していたのではといわれている。
やはり新しいものを発明するには、多くの経験を積んでおいたほうが役に立つのだ、と教えてくれる逸話である。
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【追加雑学①】ゲートボールは昭和50年代に爆発的ブームに
ゲートボールはすぐには広まらなかった。運動量が少なすぎることがアダとなり、青少年の旺盛な運動欲求を満たさなかったのである。しかしルールが簡単で覚えやすく、体への負担も少ないということで、各自治体の教育委員会が将来の高齢化に備えて普及を開始するようになった。
地道な普及活動が実り、昭和50年代には高齢者たちの間で爆発的なブームとなった。さらに1984年には日本ゲートボール協会が設立され、統一的なルールも定められている。
こうして今もなお、高齢者から愛される人気スポーツの地位を得たのである。
【追加雑学②】ゲートボール世界大会も行われている
このように日本で発祥となったゲートボールだが、現在は世界大会が行われるなど海外に広まっているのだ。競技人口は約200万人ともいわれており、その知名度はグローバルなものとなっている。
ちなみに第1回世界大会は1986年に札幌で行われ、第2回は1987年に横浜市で、その後サンパウロ(1988)・名古屋(1989)・ソウル(1990)と、世界でも大会が開かれている。日本で発明されたスポーツが世界規模で発展するのはうれしい限りである。
雑学まとめ
「ゲートボール」についての雑学を紹介してきた。いまや知らない人がいない、ご高齢の方に大人気のスポーツ「ゲートボール」。そのゲートボールを考案したのは、なんとパン屋の鈴木さんだった。
鈴木さんはもともと材木関係の仕事もしていたこともあり、そこからゲートボールのスタイルを思いついたと言われている。
遊び道具のない子供達のためを思って作られたのだが、今はもっぱら高齢者のためのスポーツとなっている。鈴木さんの思惑通りにはいかなかったように思えるが、今や日本だけでなく世界規模で行われるスポーツまで成長している。鈴木さんの発想力には、同じ日本人として敬意を表したい。