カステラが嫌いな人なんているんだろうか? 筆者はカステラLOVEだ。
長崎生まれの筆者がオススメするカステラの食べ方は、「アイスクリームをはさんで食べる」である。ちょっとパサついたカステラに当たってしまったときに、特にオススメしたい。
パサつきをアイスクリームの水分がごまかしてくれるので、ランクの低いカステラも極上のスイーツに化けるのだ。ちなみに、カステラ+バニラアイス+ココアパウダーは最強である。
カステラの話をすると止まらなくなるが、今回はカステラの由来についての雑学を話したいと思う。カステラは、実はヨーロッパから渡ってきたものなのだ。
【食べ物雑学】カステラの由来とは?
【雑学解説】カステラの由来は「南蛮菓子」
「南蛮菓子(なんばんがし)」というのは、南蛮貿易が行われていた時代に、ポルトガルやオランダから伝わってきた菓子を総称した呼び名である。
南蛮貿易は、室町時代後半の1543年(戦国時代)に、種子島にポルトガル船がやってきて鉄砲が伝来したことから開始された。
実はこの貿易、商品の輸出入という商業的意味合い以外の目的もあったのだ。キリスト教を多神教の国である日本に伝えるため、多くの宣教師もやって来たのである。
このときに使われたのが「南蛮菓子」だ。未知の食という魅力には、人は勝てない。それが甘味ならばなおさらだろう。
ヨーロッパから日本にやって来た宣教師たちは、キリスト教を異教の民に伝えるために甘いお菓子で釣ったのである。…卑怯者! でも抗えない~!
当時日本に伝えられた南蛮菓子は、カステラだけではない。星砂のような愛らしい姿をした金平糖だって、実は南蛮菓子だったのである。
1569年、ルイス・フロイスという宣教師が織田信長に、「信長さ~ん! これ差し上げるんで、日本で布教活動させてくださいよ~」とワイロとして渡したのが、この金平糖だったのだ! ちなみにこの献上品に織田信長はコロッとやられて、南蛮文化にハマっちゃったらしい。
カステラの原型はポルトガルの伝統菓子「パン・デ・ロー」であるが、これは修道院で作られていたお菓子だ。「これ、うちの修道院で作ったんっすよね~。美味くないっすか? キリスト教、よくないっすか?」といいつつ、当時の大名たちに献上したのであろうか…。
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【追加雑学①】「カステラ」という名前の由来は?
実は、カステラという名前は日本独自のものだ。
カステラを見た日本人に「このお菓子、なんて名前なの?」と聞かれたポルトガル人が、「あ~、ポロ・デ・カステラ(カステラ王国のお菓子)っすわ!」と答えた。つまりお菓子の名称ではなく、お菓子が作られた国を答えたのだ。
そこで日本人は「へぇ~、カステラって名前なのね!」と勘違いした…。カステラという呼び名は、このエピソードに由来するという。
カステラ王国というのは、現在のスペインにあった国である。
【追加雑学②】カステラは和菓子である理由とは?
ポルトガルからやって来たお菓子・カステラ。実はカテゴリー的には「和菓子」なのである。海外からやって来たお菓子なのに、一体どうしてなのだろうか?
そもそも洋菓子の定義とは、「明治時代以降に西洋から伝わった菓子」のことだ。そのため、室町時代に伝わってきたカステラは、和菓子なのである。
ちなみにこの定義を作っているのは、全国和菓子協会だ。日本中の和菓子業者をまとめるドンがそういうんだから、カステラは和菓子なのである!
カステラの雑学まとめ
カステラについての雑学を紹介してきた。
カステラは、キリスト教布教活動のエサとしてポルトガルから日本に持ち込まれた、南蛮菓子の一種である。ポルトガルの伝統菓子「パン・デ・ロー」が原型だが、室町時代に伝わったカステラは和菓子のカテゴリーに属するお菓子なのだ。
大名をメロメロにした南蛮菓子。ゴマを擦っておきたい上司へのギフトには、カステラセットを選ぼう!
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