「東京のシンボル」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。東京スカイツリー・浅草寺・東京駅など、各人によってさまざまな答えがあるだろう。
しかし、ひと昔前は東京のシンボルというと、東京タワーと答える方が多かったのではないだろうか。今回は、東京タワーに秘められた雑学をご紹介する。題して「東京タワーは墓地だった」である。
【生活雑学】東京タワーは墓地だった?
【雑学解説】墓地だった!?東京タワーには秘められた過去がある
東京・芝公園内に建つ東京タワー。東京タワーは昭和33年に完成した電波塔で、完成した当時は333メートルの高さを誇る、世界でもっとも高い建物だった。しかしそんな東京タワーは、墓地の上につくられていると、まことしやかに囁かれている。
また、その周辺では女性の霊を目撃したとの都市伝説も出回っている。噂が生まれる背景には、東京タワーの立地環境が関係していると思われる。というのも、東京タワーは徳川家の菩提寺として600年以上の歴史をもつ「増上寺」に隣接しているからだ。
「増上寺」は浄土宗の七大本山の1つで、酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、14世紀に創建された由緒ある寺院だ。江戸幕府の成立後は家康の手厚い保護のもと、徳川家の菩提寺として発展してきた。ちなみに菩提寺とは先祖のお墓があるお寺のことだ。
霊を目撃した都市伝説が生まれるのは、この敷地の一角に東京タワーが建てられていることに関係があるようだが、増上寺の墓地をつぶして建てられたとの証拠は、今回調べた限りでは確認できなかった。
ただし、まったくのデマというわけではない。東京タワーに隣接する芝公園内には、「芝円山古墳」(しばまるやまこふん)という古代の史跡がある。東京タワーの真下にあったかはともかく、その周辺部には、たしかにお墓が存在したのだ。
スポンサーリンク
【追加雑学①】東京タワーの鉄骨には戦車の鉄くずが使用されている
赤と白のカラーが印象的な東京タワー。実は東京タワーの外観にも秘密が隠されている。東京タワーの鉄骨には、アメリカ軍の戦車の鉄くずが使用されているのだ。
おすすめ記事
-
東京タワーは戦車でできてる?日本の鉄不足と米軍の関係
続きを見る
鉄骨の材料となった戦車は、朝鮮戦争でアメリカ軍が使用したもので、当時、良質な鉄を確保することが困難だった日本側と、旧型戦車の処理に困ったアメリカ側との利害が一致して、使用されることになった。
解体された鉄は、東京タワーの展望台の上部に使用されており、東京タワー全体の約1/3を占めることになる。東京のシンボルのひとつである東京タワーは、じつは日本とアメリカの蜜月を象徴する塔でもあったのだ。
【追加雑学②】東京タワーと通天閣を設計したのは、同じ人間
東京のシンボルである東京タワーと大阪のシンボルである現在の通天閣(2代目)はどちらも同じ人物によって設計されたのをご存知だろうか。その人物こそ、内藤多仲(ないとう たちゅう)である。
内藤多仲は、山梨県の生まれで「塔博士」の異名をもつ人物だ。さっぽろテレビ塔や博多ポートタワーなどを設計した人物としても知られている。また、日本でいち早く「耐震構造理論」を考案した「耐震構造の父」とも評されている。
内藤が設計した2代目・通天閣は、昭和18年に起きた火事に巻き込まれ焼失した初代・通天閣に変わり、昭和31年に完成した。一般的に東京と大阪は何かと比べられがちだが、大都市のシンボルである2つのタワーは、同じ人物によって設計されていたのである。
雑学まとめ
以上、東京タワーにまつわる雑学をご紹介してきた。東京のシンボルである東京タワーには、都市伝説から日米の蜜月を象徴する逸話など、さまざまなエピソードが秘められていた。
東京スカイツリーに、すっかり主役の座を奪われた感がある東京タワー。しかし、時代が移り変わっても、今日も東京タワーは、はるか上空から大都会の人々の営みを見つけ続けている。いまだ東京のシンボルの1つであることに異論はないだろう。