「一円を笑う者は一円に泣く」とはいったものの、そのありがたみを実感するのはなかなかに難しい。だって一円だけじゃなんにもできないし…。要はささいなことにも感謝するべきだという意味なのだが。
今回はそんな一円玉のデザインに関するトリビアだ。なんでも一円玉に描かれているあの植物は、この世に存在しないものだというぞ…?
ファンタジー世界に登場する伝説の木みたいな設定とか? なんだか中二病くさくなってきたが、真相にはそれにも勝る壮大なテーマがあった!
【生活雑学】一円玉に描かれた植物の意味とは?
【雑学解説】一円玉のデザインは「若木」
一円玉の植物がこの世に存在しないのは、そのデザインが特定のモデルを参考にしたものではなく、「若木」というイメージだけで描かれたからだ。
このデザインは戦後1954年の公募によって、計2581点のなかから選ばれた。作者は当時、京都府在住の中村雅美さんで、彼女がいうには「モデルを設定しないことですべての木に通じると思った」とのことだ。
大蔵省はこのデザインを「戦後復興を志す日本にふさわしい、未来への希望を感じさせるデザイン」と評し、採用にいたったのだという。
たしかに若木を見たときに未来の成長した姿を想像して希望を感じるのは、どんな植物でも同じだ。「実在しない」というのは、言い換えれば「どんなものにでも希望は見いだせる」ということなのである。
一円玉のデザイン採用賞金は?
このとき採用された案には75,000円の賞金が用意されていたとのことだが、裏側の数字の1のデザインはまた別の人の案だったため、37,500円ずつに分けられたという。これは現代に価値を直すと22万5,000円ほどである。
こう見ると「けっこう貰えるんだなあ」と思えるが、何よりの栄誉はそれが全国に流通し、今も万人の財布に入っていることだろう。
ちなみに一円玉は五十円とともに、初めてデザインが一般公募された硬貨で、現在作られているものではもっとも古い。そんな記念や歴史が詰まった硬貨なのである。
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【追加雑学】硬貨のデザインに込められた意味
せっかくなので一円玉以外の硬貨のデザインも見ていこう。それぞれ日本の繁栄を願った意味が込められているぞ!
五円玉
「稲穂・水・歯車」はそれぞれ「農業・水産業・工業」を表す。これも戦後の復興を志す日本の象徴としてわかりやすいものである。
絵柄のデザインができたのは1949年と一円玉より前だが、59年に「日本國」の文字が「日本国」に変更されたため、一円のほうが古いということになっている。
これも日本が新しく生まれ変わろうとするがゆえの変化だ。
十円玉
十円玉に描かれているのは京都府宇治市にある世界遺産・平等院鳳凰堂だ。藤原頼通(ふじわらのよりみち)がこの世の極楽浄土というテーマで作った建造物である。日本の人々の幸福を願う象徴として採用されたといったところか。
発行年は五円玉のデザイン変更と同じ1959年。この機会に一新してしまおう! という流れだったのかもしれない。
五十円玉
五十円玉に描かれている菊は家紋や仏花にもなり、古くから日本人に愛されてきた花。いかにも日本らしい植物の一種である。
実は現在の五十円玉は、1967年に「百円玉と見分けがつきにくい」という理由からデザインが変更されたもの。一円玉と一緒に公募された1954年デザインのものは今より大きく、穴がなかったのだ! 穴がない五十円って…なんか不思議な感じである。
以下の動画で1954年からの五十円玉の変貌が紹介されている。現在の形になるまでにもう一回り大きな穴あきもあったのか…。
百円玉
百円玉に描かれている桜は、何を隠そう日本の国花。五十円と同じ1967年に発行されたということで、この年にダブルで日本を象徴する植物の硬貨が登場したことになる。
ちなみに短い期間しか咲かないその様子は、生と死に例えられることもあるぞ。そういわれると少し重いテーマにも感じるが、普段は忘れがちな大切なことである。
五百円玉
五百円玉に採用された植物は桐。いまいちなじみがない植物にも思えるが、あの豊臣秀吉が家紋に使ったことで知られている。天下統一を目指し、日本の基礎を作った人物という意味ではこれも日本の象徴と呼ぶにふさわしい。
ちなみに五百円玉が作られたのは1982年と、割と最近の話。このころ自動販売機の普及によって必要と判断されたのだとか。そういえば五百円玉って出回っている数も少ない気がするな。
一円玉の雑学まとめ
一円玉のデザインになった植物はこの世に存在しない、言い換えればなんにでもなり得る植物だった。
すべての植物が成長の可能性を秘めている…というメッセージは、人間にも当てはめられ、非常に勇気をもらえるものではないか! そう思うとより、一円を笑ったりなんてできなくなる。