「ハイジャック」というと、強盗がナイフ片手に飛行機を乗っ取るイメージがある。
高い空の上を飛ぶ飛行機をジャックするから、ハイジャックなのかな…などと思っていたが、どうやらバスやトラックを乗っ取る場合にも、ハイジャックという言葉は使われるという。
…バスやトラックの何がハイなんだ? というか「ジャックする」などと言ってみたが、そもそもジャックの意味もわからない。
ということでハイジャックという言葉の由来に迫ってみたが、恐ろしい犯罪とは裏腹に、案外マヌケな語源が隠されていたぞ!
【世界雑学】ハイジャックの由来は「ハイ、ジャック」という呼びかけ
【雑学解説】とりあえずジャックと呼んでおけ!知人のフリをする犯罪手口
「ハイジャック」は1920年ごろにアメリカで生まれた「盗む・奪う」などを意味する言葉である。実は語源はそのまんまで、「ハイ! ジャック!」と知り合いのフリをして近付き、強盗などを行う犯罪者が多かったからだ。
飛行機を乗っ取るスリリングなイメージから、なんだか急にマヌケな感じになった気がするが…ともあれ、どうしてジャックなんだ?
これは単純にアメリカ人の男性にジャックという名前が多いからである。ジャックというのは正確には「ジョン」の愛称として呼ばれるもので、1900年代に人気のあった名前ランキングでも1位になっている。
- 1位「ジョン」
- 2位「ウイリアム」
- 3位「ジェームス」
- 4位「ロバート」
- 5位「ジョセフ」
なるほど…つまりジャックと呼んでおけば相手が反応する確率も高いというわけだ。どことなく、日本で社会問題になった「オレオレ詐欺」にも通じるものがある。
ハイジャックという単語はもちろん英語辞典にも載っているが…犯罪者のセリフがそのまま単語になってしまうなんて、当時のアメリカではそれほど多発した手口だったのか?
1920年代のアメリカでは「禁酒法」の施行で犯罪が多発していた
1920年代のアメリカでハイジャックの手口が多発したことには、1920年1月に施行され、以降14年間続いた「禁酒法」が関係している。
禁酒法は文字通り、酒の製造や販売、運搬を国が禁止する法律だ。つまり当時のアメリカでは、一切酒を飲むことができなかった。嘘みたいな法律だが、実際にあった話である。
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しかし法律で製造が禁止されたといっても、普通に酒を飲んでいた者がいきなりそれをやめることが容易でないことは明らかだ。この法律によって、アメリカでは密造酒が出回るようになり、それを運搬するトラックを襲うハイジャックの事件が多発したのである。
なるほど…そんな無理矢理な法律を作ってしまえば、単語ができるほどに犯罪も横行するわけだ。
また犯罪だけではなく、素人が隠れて酒を作ろうとするものだから、品質の悪い酒が出回る。なかには自宅のバスタブで醤油とグリセリンを混ぜて酒を作るような者もいたのだとか。酔えるのは酔えるのだろうが、おいしいのかそれ…。
案の定、健康被害の拡大につながったため、1933年にこの法律は廃止されることとなったのだ。
禁酒法の施行は産業の成長を目指したものだった
そもそもどうして酒を禁止したのかというと、当時のアメリカが産業の急成長を目指していたことに繋がる。
このころのアメリカ社会のスローガンは「大量生産・大量消費」。ベルトコンベアの流れ作業でどんどん物を作って産業を繁栄させようとするかたわら、豪快に消費するのもまた正義とされていた時代だ。
しかしその豪快な消費が酒へと向かうと、昼間から酒を飲んでまともに働けない輩や、遅刻や欠勤をする者も絶えない。そこで経営者たちがさらなるアメリカ社会の繁栄のため、禁酒法を打ち立てたのである。
うーん…理に適っているような気もするが、やっぱりやりすぎだ。勤務中の酒を禁止したり、遅刻や欠勤を繰り返す者に減給やクビなどの処罰を与えれば解決する話ではないのか…。
また法律の施行にはアメリカにキリスト教徒が多いことが関係していたという説もある。たしかに敬虔なキリスト教徒となれば、見苦しく酔っぱらう姿を嫌悪する人も少なくなさそうだ。
【追加雑学】バスジャック・シージャックは和声英語
ハイジャックは飛行機のイメージが強いが、飛行機の場合は本来「スカイジャック」という言葉がある。
また同じようなニュアンスの言葉に「バスジャック・シージャック」などがあるが、これは日本でしか通じない和製英語だ。英語圏ではバスや船などの乗り物には一貫してハイジャックが使われている。
「バスのハイジャック」などと聞くと、バスの何がハイなんだ? ハイウェイのことか? などと思っていたが、言葉の成り立ちを知ればもっともな言い回しであるとわかる。
雑学まとめ
飛行機など、民間の乗り物を乗っ取るハイジャックの語源は、まさかの知人のフリをして近付く犯罪手口にあった。
知らない人間からいきなり呼び止められることは、日本人の感覚ではそれ自体が不審にも思える。しかしアメリカに行ってみれば、道端で知らない人に話しかけることは当たり前。実はそういった国民性も表れた言葉なのではないか。
決して良いイメージの言葉ではないが、ひとつの単語からここまで国の文化を感じられることは興味深い。