エジプトの広大な大地に悠然と佇むピラミッドは、古くから見る者を圧倒してきた。海外旅行に興味のない人でも、一度は間近で見てみたいと思うものではないか。
ピラミッドという名前の響きも、なんだかミステリアスでその風貌に華を添えている…。と、思うところだが、その由来には、実は拍子抜けするような意味が込められているのだ。
またどうやら、古代エジプトの人たちはピラミッドとは呼んでいなかったというぞ…?
【歴史雑学】「ピラミッド」と名付けたのはエジプト人ではなくギリシャ人
【雑学解説】ピラミッドの由来は古代ギリシャ人が食べていた「ピューラミス」
エジプトの巨大な王墓を「ピラミッド」と呼ぶようになった由来には諸説あるが、現地のエジプト人がそう呼んでいたのではなく、研究に当たったギリシャ人が名付けたとする説が有力だ。
そもそも古代エジプト人はピラミッドとは呼ばず、「昇る」を意味する「ムル」もしくは「メル」と呼んでいた。
しかし現地を訪れたギリシャ人はピラミッドを見て、自分たちが普段食べていた「ピューラミス」という三角形のパンを連想したことから、ピラミッドと名付けたというのだ。たしかにサンドイッチなど、あんな形をしたパンはあるし…言わんとすることはわかる。
またギリシャ人が名付けたといわれているのは、ピラミッドのことを記した一番古い文献が、紀元前5世紀のギリシャ人、ヘロドトスが残した『歴史』だからだろう。
ヘロドトスが「パンみたいだなあ」と言ったのか、誰かが「パンみたい」と言っているのをヘロドトスが聞いたのか、文献を読んだ後世のギリシャ人が「エジプトの王墓って、パンみたいじゃね?」と言い出したのか…。
いずれも定かではないが、ヘロドトスの記述を頼りにピラミッドの研究が進められていったことはたしかである。ちなみにピラミッドを王墓と言い出したのもヘロドトスだが、彼の生きた時代はピラミッドの建設より2000年も後の話なので、これも実は仮説にすぎないのだ。
以下にピラミッドを間近で撮影した迫力の動画を紹介しておこう!
映像で見ても、こんな巨大な建物をよくもまあ、人力で作ったものだと圧倒される。
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【追加雑学①】日本語の「金字塔」はピラミッドのことだった
優れた功績を残すことを「金字塔を打ち立てる」などということがある。この「金字塔」というのは、実は当初、ピラミッドを指して使われた言葉だった。
ピラミッドの存在が日本に伝来したのは1700年代後半の話、そこから明治初期にかけて、さまざまな文献で日本人向けに紹介されていくことになる。しかしこの時代のこと、日本人としては横文字を並べられても伝わりにくい。
そこでピラミッドの三角形が「金」の文字に似ていることから、金字塔と紹介されるようになったのだ。
ちなみに1862年に現地を訪れた福沢諭吉は、『西航記』という書物のなかで、オランダなまりの「ピラミデ」という言葉を残している。このころにはピラミッドに近い呼び方がかなり浸透していたのだろう。
このように金字塔と呼ばれていた時期はわずかだったが、その言葉自体は「ピラミッドを建設するぐらいすごい!」という意味に転化し、日本語として残り続けているのだ。
ちなみに金字塔は和製漢語として、日本から中国に伝来していった数少ない言葉でもある。漢字は中国から輸入された言葉なのに…輸入先に影響を与えてしまうなんてすごいぞ!
【追加雑学②】エジプトと名付けたのもギリシャ人
ピラミッドだけでは飽き足らず、国名である「エジプト」の由来になったのもギリシャ語の「アイギュプトス」だ。
なんでも当初は「プタハ神の神殿」を意味する「フウト・カ・プタハ」という名で呼ばれていたものを、ギリシャ語に直したのだという。そこからアラブ人がさらに「ギプト」となまらせて、エジプトになっていったのだとか。
前述のヘロドトスが歴史研究においてはパイオニアとされていることもあってか、ギリシャには一般的な呼び名の由来となっているものが何かと多い。
雑学まとめ
ピラミッドの名付け親はギリシャ人で、彼らが当時食べていたパンに由来する。また王墓と呼び出したのも、エジプトという国の名前を考えたのもギリシャ人。ギリシャの人はよほど研究熱心だったのだろう。
しかし日本で金字塔と呼ばれていたように、結局は現地の言葉では呼びにくいから、適当なニックネームで呼んでいただけの話かもしれない。それなら親しみやすいパンの名前を付けたことももっともらしいといえる。