着物を着るときに、気をつけるべきものは何だろうか? そう、襟(えり)の合わせ方だ。
着物の着方で「左前」といって、左側の襟が前に来ることは禁じられている。もしも左前で着てしまったら、「この人は常識がないなぁ…」と呆れられてしまうことも…。
そもそも、どうして着物の襟の合わせ方を逆にするのはダメなのか? 洋服だと、男女で襟の合わせ方が違うのに、着物になると「左前はダメ!」とうるさくなる。
着物の襟の合わせ方の謎に迫るには、大昔の歴史を見る必要がある。今回は、そんな知ってるようで知らない雑学を紹介しよう。
【生活雑学】右前!着物の襟を左前にするのはマナー違反
【雑学解説】大昔の法令から着物の襟の合わせ方が決まった
右前で着物を着ることが当たり前になったのは、奈良時代に出された「衣服令」という法令がきっかけとなっている。この法令の中に、「百姓は着物を右前に着なさい」という文章があるのだ。
気をつけてほしいのは、相手から見て右の襟が前にきている状態だということ。相手目線での「右前」だ。
では、なぜ百姓に着物を右前で着ることを定めたのか、その理由として考えられる説が2つある。
「左側は右側よりも位が上」
まず最初の説は、中国思想によるものだ。当時の日本は中国をお手本にしており、この中国の思想の中で「左側は右側よりも位が上」というものがあった。
そのため、「身分が上の人たちは左前で着てもオッケー。身分が下の人は、左前じゃなくて右前で着るのが適切だ」ということから、百姓たちは右前で着ることを定めたという理由だ。
「作業効率によって右前が好ましいから」
次の説は、「作業効率によって右前が好ましいから」というものだ。実をいうと、左前で着た着物は、意外と動きにくい。といっても身分が上の人たちは、特に動く必要がないから支障はない。
しかし、百姓たちはどうだろうか? 彼らは肉体労働をする身分である。そのため、動きづらい左前よりも、動きやすい右前で着ることを定めたという理由だ。
この法令ができて以来、右前で着ることが当たり前となった。
作業効率による理由ならまだ分かるが、左と右で身分に違いがあるということに驚きだ。左と右でどちらが偉いかなんて、考えたこともない。昔の人は面白い考えをするものだ。
スポンサーリンク
【追加雑学①】なぜ左側が右側より位が高いの?
せっかくなので、なぜ左側が右側より位が高いのかについての雑学も解説しよう。
この「左が右より上」という考えは、中国の思想に由来している。この考えができたのは、唐の時代。この時代に「天帝は北辰(ほくしん)に座して南面す」という思想がでてきた。
分かりやすく言うと、「皇帝は北を背にして、南に向いて座る」という意味だ。このように座った時、皇帝から見て左側が東となる。東といえば、太陽が昇ってくるところだ。そして、皇帝から見て右側になる西は、太陽が沈んでいくところとなる。
太陽が昇り降りする場所で、どちらが上なのかというと、太陽が昇ってくる東となる。このことから、「左が上位・右が下位」という考えができたのだ。
皇帝の視点と、太陽の位置で地位の高さを決めるのは、なかなか面白い視点だと思える。もしかすると、皇帝が北を向いて座るか、太陽が昇る位置が西からだったら、右が上位ということになっていたのかもしれない。
【追加雑学②】死装束はなぜ左前?
左前で着物を着ることが避けられる理由に、「死装束と一緒の着方だからやめなさい」というものを聞いたことはないだろうか? 私も昔そのような理由で祖母から注意をされたことがある。
たしかに、伝統的な死装束では、着物を左前にして着ている。これはなぜなのか?
考えられる説の1つに、「人間は死ぬと、生前の身分とは関係がなくなる」というものが挙げられる。つまり、人間は死ぬと平等になるというわけだ。
そのため、身分が低かったとしても、亡くなれば尊い存在になる。そのため、本来身分の高い人の着方だった左前で着せても、問題がないのだ。
昔の人で、特に身分の低い人たちは「死」を特別視していたのかもしれない。「この世では苦労したけど、あの世ではもう身分に悩むこともないんだよ」という気持ちを込めて、左前で着せていたのだろう。
おすすめ記事
-
その名は天冠!幽霊の額の三角巾には名前と意味があった
続きを見る
雑学まとめ
着物の着方についての雑学、いかがだっただろうか。着物の着方で左前がダメとされているのは、その昔、衣服に関する法令が出されたことに由来している。もともと左前は身分の高い人たちの着方で、身分の低い人たちは右前で着るのが好ましいとされていた。
そして、時代が流れるにつれて、左前は死装束でのみ使われる着方となってしまった。今も昔も、左前の着方が特別な着方であることに、変わりはないのかもしれない。
おすすめ記事
-
浴衣と着物の違いは4つ!全部言えますか?
続きを見る