「あのヤブ医者め、出された薬飲んでも全然治らねーじゃねーか」体調が悪いときはついイライラして、このような暴言を吐いてしまうものだ。それにしても、ヤブ医者の「ヤブ」とはどこから来ているのだろうか?
ヤブという言葉、ヤブ医者以外ではヤブ蚊くらいにしか使わないイメージがある。ヤブ蚊のヤブは竹藪のことだろうが、ヤブ医者のヤブは一体何なのだろう? 気になったので、今回の雑学ではこれについて調べてみた。
【生活雑学】ヤブ医者の「ヤブ」の由来
そもそもヤブ医者の「ヤブ」ってもともと名医のことを指す言葉なのにねぇ。
【雑学解説】養父の名医説が有力
この説は、江戸時代の俳人で、かの有名な松尾芭蕉の弟子であった森川許六(もりかわきょりく)という人物が1707年に編纂した「風俗文選(ふうぞくもんぜん)」を根拠としている。
「薮医者ノ解」と題された一節には、以下のように綴られている。
「世の中でヤブ医者というと下手な医者を指す意味で使われているが、本来なら名医のことを指す言葉である。いつの時代であったかはわからないが、ある名医が但馬の養父にひっそりと隠れて住んでいて、現地の人に治療をおこなっていた。
この名医は死にそうな病人の治療を成功させることもあり、その評判は広く各地に伝わり、全国の医師の卵たちが集まり、名医の弟子となった。養父の名医の弟子といえば、病人からの信頼も厚く、治療や薬の効果も高かった」
なるほど、ヤブとは地名の養父(やぶ)のことで、もともとは今のような意味ではなく、名医のことだったのか! 竹藪の「藪」が由来だったとしても、草木が生い茂るような場所に追いやられた医者(=で腕の立たない医者)という感じで、一応意味が通りそうだと考えていたが違うようだ。
しかし、そうなると一つ疑問に感じるのが、どうして下手な医者を指す意味に転じたのか、ということだ。
腕のない弟子が名医のブランドを利用した
実は養父の名医の弟子となった者のなかには、名医のブランドを利用して、大した腕もないのに「自分はあの名医の弟子だぞ」と吹聴する口先だけの医者も現れたのだ。俗にいう「人の看板で飯を食う」というやつである。
こういった腕の立たない医師が蔓延。ヤブの名医の評判はがた落ちし、ついには藪という字が当てられるまで落ちぶれてしまったというわけだ。このような経緯でヤブ医者という言葉がもつ意味も変わってしまったのである。
この説は養父市のホームページにもちゃっかり記載されており、地元も認めた説になっているようだ。
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【追加雑学①】野巫説の可能性も
実はヤブの由来は養父市の名医以外にも存在する。
野巫(やぶ)とは「田舎の巫医(ふい:巫女と医者の役割を兼ねている者)」のことで、呪術を用いて治療を行っている医者のことだ。今でも不老不死の病にかかったときなど、霊媒師や祈祷師の力を借りることがあるそうだが、そのような類だと思われる。
踊ったり呪文を唱えたり、現代の医療ではおおよそ医療とは呼べないような手段で治療することから「いいかげんな医者」、その治療しかできないことから「へたくそな医者」という意味がある。
この説ならストレートで今のヤブ医者の意味と合致するが、語源として正式に採用されてはいない。
【追加雑学②】医者は激務
ヤブ医者はそうでもないかもしれないが、医者の多くは激務である。急患があるので病院は常に開けておかねばならないし、入院患者の容体が悪化したら即座に駆け付けなければならない。
このように24時間体制で動いていなくてはならず、当直する場合も多い。当直した次の日の昼間も働かなければならないので、何十時間も連続して勤務する場合も多い。年間の残業時間が2,000時間に達している医師もいるようで、とんでもない時間働き続けなくてはならない。
ただ医者によっても働き方がそれぞれ違うので、上記のように過酷な労働環境で働いている医者ばかりではない。マックスはこれくらい忙しいという、参考程度で受け止めていただきたい。
雑学まとめ
ヤブ医者の由来についての雑学をご紹介したが、いかがだっただろうか。「ヤブ医者」とはもともとは兵庫県養父市の名医のことを指していたようだ。この名医の腕はたしかで各地にその名声がとどろくほどの実力だったらしいが、悪だくみを考える弟子がいて、中には師匠のブランドを悪用する不届き者まで現れた。
やはり才能というのは継承できるものではないのだろうか。本人とその一族のみが保有できる、遺伝子レベルの出来事なのだろうか? そんなことを考えてしまったが、真面目に修行や勉強を続けていれば、ヤブ医者と呼ばれるレベルには落ちないはずだ。
医者を目指す人は、日々精進していこう。
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