オリンピックは、世界中の国が参加するスポーツの祭典だ。政治の駆け引きに利用されることもあるといわれるが、大会は常に政治的に中立であることが求められている。
また、オリンピックは平和の祭典であることも求められているのだ。これには、古代オリンピックが行われた際に一切の戦闘が禁じられ、戦争も中止されたことが由来となっている。
古代オリンピックは、開催が近づくと戦争が休止されたという雑学をご紹介しよう。
【オリンピック雑学】古代では、オリンピック開催が近づくと戦争を休止した
【雑学解説】古代オリンピックでは参加者の安全のために戦争が休止された
古代ギリシャは現代のギリシャのように統一された国ではなく、スパルタやアテネといった1500を超える都市国家・ポリスが集まった地域だった。ポリスは常に主導権や食料をかけて争っていたという。
そのため、戦争が常に絶えなかったのだ。しかし、古代オリンピックが開催されるようになると、開催期間中は一切の戦争が禁止されるようになった。
オリンピックは現在と同じく4年に一度開催されたが当時はポリスごとに暦が異なったため、明確に日付を決めることは難しい。
開催が近くなると夏至から2度目か3度目の満月の日が計算され、その日が開催から3日目になるようにオリンピックは開催されていたという。
開催日が決定すると、3人の使者が各地に休戦を知らせに回ることになった。休戦する理由は平和のためというよりは、オリンピック参加者の安全を確保するためだったともいわれている。
しかし、オリンピックの際の休戦は神託だったこともあり、同じ宗教をもつポリスの人間は素直に従ったようだ。
オリンピック期間中は休戦という慣例が1100年以上続いたため、オリンピックは平和の祭典と呼ばれるようになったという。
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【追加雑学①】古代オリンピックの時代の戦争はそれほど激しくなかった
古代ギリシャは絶え間なく戦争が続いていたこともあり、非常に殺伐としたイメージをもつかもしれない。しかし、古代ギリシャの戦争は現代の戦争とはかなり違うものだったようだ。
古代ギリシャの戦争は奇襲などは許されておらず、武器も飛び道具を使えなかった。争う理由が食料を確保する意味もあったため、戦う期間も小麦粉の収穫が終わってからオリーブの収穫が始めるまでと決まっていた。
他にも、敗走した敵軍を追いかける時間が制限されるなど、かなり細く取り決めがあったことが分かっている。そのため、死者はそれほどでなかった。
当時も激しい争いがなかったわけではないが古代ギリシャは同じ文化を共有していたため、それほど激しい争いになることはなかったようだ。
あくまで、戦争よりも食料の生産や生活が優先されていたのである。このような状態だったため、オリンピック中は休戦が受け入れられていたのだろう。
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【追加雑学②】現代のオリンピックでは選手村で戦闘が行われたことがある
古代オリンピック中は休戦状態になっていたが、近代オリンピック中に戦争を止めることはできていない。
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近代オリンピックが行われるようになってからも、オリンピックは平和の祭典であることが求められた。しかし、1916年のベルリンオリンピックは、第一次世界大戦によって中止になってしまう。
1940に行われる予定だった最初の東京オリンピックは中止になり、戦争は第二次世界大戦にまで発展した。結局、1944年のロンドンオリンピックも中止になっている。
しかし、オリンピックが中止になったどころか、1972年のミュンヘンオリンピックでは選手村で戦闘が行われたことがあるという。大会の終盤の9月5日に、パレスチナのゲリラがイスラエル選手団を襲ったのだ。
「ブラック・セプテンバー」を名乗るゲリラによって2人が殺害され、残りの選手とコーチは人質にされた。その後、ゲリラはイスラエル政府に政治犯234人を解放するように要求している。
しかし、イスラエル政府が要求を拒否してしまう。その後、交渉に当たっていた西ドイツ当局はゲリラと人質を国外に送り出すことをゲリラと約束し、ゲリラと人質を空軍基地までヘリで連れ出した。
基地の警備隊は人質を奪還するための作戦を立てており、基地についたゲリラを狙撃し人質を救出するつもりであった。しかし、人質救出作戦は失敗し、戦闘になってしまう。
銃撃戦の結果、ゲリラは手榴弾で自爆し、人質が乗っていたヘリは爆発・炎上してしまった。最終的にゲリラ8人のうち5人が死亡し、警官が1人殉職した。
救出作戦に参加したのは地元の一般警官で、作戦上必要な高度な狙撃を行うための技術も装備もなかったといわれている。
結局、人質は全員死亡。この事件はゲリラの名乗った名前から「黒い9月事件」あるいは「ミュンヘンオリンピック事件」と呼ばれ、オリンピック史上最悪の出来事として人々の記憶に残ることになった。
上の動画はこの事件を扱った映画の予告編だ。
オリンピックは中止も検討されたが、政治的な犯罪に屈してはならないということで続行されている。この事件がきっかけとなり、オリンピック村の警備は非常に厳重なものになったのだ。
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雑学まとめ
古代ギリシャでは、オリンピックが開催されると戦争が休止になるという雑学についてご紹介した。
古代オリンピックでは、大会期間中に戦闘が休止になるという伝統は大会がなくなるまで守られた。しかし、現代では戦争でオリンピックが取りやめになることはあっても、戦争が休止になることはない。やはり、古代オリンピックの時代のようにはいかないようである。
古代オリンピックのように、真の意味でオリンピックが平和の祭典になる日は来るのだろうか?