麻生太郎。日本に住んでいてその名前を知らない人はほとんどいないはずだ。いまさら説明は不要かもしれないが、麻生太郎氏は自由民主党所属の政治家で、第92代内閣総理大臣を務めている。
そんな麻生太郎氏だが、実はオリンピックに出場したことがあるのだ! 若い世代はこの事実を知らない人が多いかもしれない。今回は、麻生太郎氏に関する雑学を紹介していくぞ。
【オリンピック雑学】麻生太郎は五輪に出場したことがある
【雑学解説】麻生太郎はクレー射撃の日本代表選手だった
はじめに、麻生太郎氏のすごすぎる経歴を紹介していく。1940年9月20日、政治家で実業家の麻生太賀吉(あそうたかきち)の長男としてこの世に生をうける。
父の太賀吉氏は、「麻生鉱業」と「麻生セメント」の社長を経て政治家へと転身した。麻生太郎氏は超おぼっちゃまだったのだ! この件に関してはあとでまた詳しく紹介していく。
麻生太郎氏は1959年、学習院大学政治経済学部に進学した。そして、ここでクレー射撃と出会う。クレー射撃は以下のような競技である。
射撃という名前のとおり、銃器で標的を狙う競技がクレー射撃だ。めちゃくちゃかっこいいではないか! ただし、ものすごい集中力が必要らしいぞ…。
大学に入ってからクレー射撃をはじめた麻生太郎氏。みるみるうちにその才能が開花し、22歳のときに全日本選手権で日本新記録を更新して優勝する。クレー射撃をはじめて3~4年で日本のトップに立ってしまったわけだ。
社会人になってからもクレー射撃を続け、1974年に行われた第2回メキシコ国際射撃大会で見事優勝。1976年のモントリオールオリンピックで日本代表に選出された!
実はこの2年前、麻生太郎氏は父親の後を継いで「麻生セメント」の代表取締役に就任していた。つまり、大企業の現役社長でありながらオリンピックに出場したのだ。麻生太郎、すごすぎる…。
残念ながら、モントリオールオリンピックでの結果は41位に終わってしまった麻生太郎氏。このオリンピックを最後にクレー射撃から引退した。
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【追加雑学①】元オリンピック選手の政治家は意外と多い
実は、元オリンピック選手の政治家は意外と多い。麻生太郎氏のほかにどんな政治家がいるのか紹介していく。
- 橋本聖子(スピードスケート、自転車競技)
- 谷亮子(柔道)
- 荻原健司(ノルディック複合)
- 釜本邦茂(サッカー)
- 堀井学(スピードスケート)など
とくに驚きなのが、スピードスケートと自転車競技で計7回オリンピックに出場した橋本聖子氏である。現在、政治家として活躍する一方、6人の子育てに奮闘中だ。パワフルすぎる!
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【追加雑学②】麻生家は華麗なる一族!?
さきほども紹介したように、麻生太郎氏の父親は実業家・政治家として知られる麻生太賀吉氏である。そして、さらに驚きなのが麻生太郎氏の母親だ。
なんと麻生太郎氏の母・和子はあの政治家兼外交官・吉田茂の三女なのだ! つまり、麻生太郎氏は吉田茂の孫ということになる。これには驚いた…。
さらに家計図をたどっていくと、あの大久保利通の名前が登場する。大久保利通は、麻生太郎氏にとって高祖父(祖父の祖父)なのである。
驚くのはまだまだ早い。麻生家の家計図は天皇家へとつながっている。実は、寛仁親王妃殿下 信子(ともひとしんのうひ のぶこ)さまは麻生太郎氏の実の妹なのである。
寛仁親王妃殿下は実の妹、彬子(あきこ)女王・瑶子(ようこ)女王は姪というとんでもない事実が発覚した麻生太郎氏。麻生家はまさに華麗なる一族なのであった。
雑学まとめ
今回は、麻生太郎氏に関する雑学を紹介してきた。実業家・政治家・元オリンピック選手といろいろな顔をもつ彼。器用すぎる!
そしてなにより、麻生家の華麗なる一族っぷりにひっくり返ってしまった。麻生家の家計図にはまだまだ有名人がたくさんいる。気になる人はぜひチェックしてみてほしい。