今やプロ野球の代表的な球団の一つとなった東北楽天ゴールデンイーグルス。しかし、その誕生は2004年とつい最近のこと。近鉄とオリックスの合併を受け、新規参入となった球団だった。
大荒れの球界再編問題をなんとか切り抜け、参入を果たした楽天。2013年には星野仙一監督の下日本一にも輝いた球団だが、創立時はなかなか大変な状態だった。以下の雑学では、当時の楽天のことを記してみようと思う。
【スポーツ雑学】初期の楽天はオリックスの2軍で編成されていた
【雑学解説】分配ドラフトで、主力は全て楽天ではなくオリックスに
2004年11月8日、新球団の楽天と、近鉄とオリックスが合併して誕生したオリックス・バファローズによる、自分たちに所属する選手を決める分配ドラフトが行われた。
しかし、この分配ドラフトには前提として、近鉄とオリックスから選抜された主力選手25名は対象外とされた。対象外の25選手は全てオリックス・バファローズに所属するとあらかじめ決められていたのだ。
「えっ! 楽天かわいそう…」と思ってしまうが、どこの世界でも新参者には厳しいもの。昔から近鉄とオリックスを応援してきたファンたちの声もあり、近鉄とオリックスを引き継ぐバファローズにまずは選手を確保せねばという話になったのだ。
分配ドラフトはこの25名を除いた形で、まず20名を楽天・次の20名をオリックス・20人を楽天と順番に指名していったのである。
しかし選手たちの中には、バファローズではなく新球団に移りたいと希望する選手もいた。それらの選手の行き先も注目されたが、当時の主力選手の礒部公一・中村紀洋・岩隈久志は、紆余曲折を経て希望が通り、楽天に所属することとなった。
岩隈久志はかなりの好投手で、後にメジャーでも活躍した名選手である。ここで岩隈のピッチングをご覧いただこう。
このように、何人か主力を手に入れることが出来た楽天だが、全体としての力は弱く、創立初年度の成績は酷いものだった。
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【追加雑学】楽天、開幕2戦目で0-26の大敗
祈念すべき楽天の初年度となった2005年、開幕戦こそ岩隈の好投でロッテに勝利したが、翌日の試合で0-26というプロ野球史上最多タイの得点差で大敗を喫したのである。
この試合でヒットは24本打たれ、ホームランも4本打たれた。しかも、楽天のヒット数はたったの1安打。球団ができて意気揚々と観戦に訪れた仙台のファンも、さぞがっかりしたことだろう。
初年度の楽天は終わってみれば、38勝97敗、勝率は.281で断トツの最下位となってしまった…。やはり主力選手をオリックスに取られてしまったことが、大きく影響したといえるだろう。
雑学まとめ
楽天とオリックスについての雑学、いかがだっただろうか。今は強豪球団のイメージすらある楽天だが、当初はめちゃくちゃ弱かった。それは分配ドラフトで、主力選手のほとんどをオリックスに取られてしまったため。
いい方が悪いが、楽天にきた選手の多くはプロで勝ち抜くための力をもっていなかったのである。
しかし、弱かったのは昔のこと。今はそんな過去を忘れるほど強くなり、2013年には日本一も達成した。仙台に球団ができたことで、経済も活性化したし、球団ができて良かったのは間違いない。