「豚に真珠」ということわざ、皆さんは聞いたことがあるだろう。「どれだけ貴重なものでも、価値の分からない者には与えては意味がない」という意味。
たしかに豚に真珠を与えても、真珠の価値には気づかないはずだ。食べ物と間違えて飲み込んでしまうだろう。
さて、この「豚に真珠」ということわざの由来はどこから来ているのだろう。気になったので雑学として調べてみた。その由来は意外や意外、あんな人から…。
【世界雑学】「豚に真珠」の由来は聖書から!イエス・キリストの言葉だった
【雑学解説】聖書に書かれていた「豚に真珠」
「その価値が分からない者には価値があるものを与えるな」という、わりときつい意味をもつ「豚に真珠」ということわざをイエス・キリストが思いついたとは意外であろう。
キリスト教徒によって書かれた新約聖書の「マタイの福音書第7章6節」には、たしかに「聖なる物を犬に与えるな。また真珠を豚の前に投げるな」とある。ちなみにそのあとの言葉は、「彼らはそれを足で踏みつけて、あなたがたを攻撃してくるだろう」と書かれている。
このように、豚と犬の扱いはひどいものだ。聖書全体を通して、豚は計8回・犬は計13回使われているのだが、いずれも酷い嫌われようなのだ。
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キリスト教では豚は不浄な動物といわれていた
特に、豚は不浄な動物。穢れたもので、救いがたい愚かな存在と扱われている。キリスト教のもととなったユダヤ教でも、豚は不浄なものとして食べることを禁じられている。
ここまで豚が嫌われるようになった要因としては、飼育にコストがかかったためだといわれている。牛や羊などの草食動物とは違い、豚は雑食。食肉用として太らせるためには、人間の食べ物を与えなければならなかったのだ。
このような事情から「豚=価値がないもの」となり、そのような価値のないものに真珠を与えても意味がわからず、攻撃されたと思って仕返してくるぞ! と、たとえ話で豚を使ったのだそう。
豚が酷評されすぎて可哀想だが、たしかにキリストの言うことは正しいように感じる。
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【追加雑学①】猫に小判の由来は?
「豚に真珠」と同じ意味の言葉に「猫に小判」があるが、こちらの由来についても調べてみた。
その由来は小判を使っていた江戸時代、「猫に小判を与えても、その価値が分からず無意味である」というところからきている。
豚に真珠とほぼ同じような由来だが、なぜこちらは猫を使っているのだろう。それは、猫が人間の生活に最も身近な生き物だったためだ。みんなが知っている動物を使ったほうが、生活に密着した言葉になりやすいだろう。
さらに、猫は自由気まま。こちらの思い通りに動かない存在だということも、ことわざの意味にはマッチしている。
当時は「小判」が価値のあるものの代表で、「猫」が身近な存在の代表だったことから出来上がった言葉なのだ!
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【追加雑学②】名画「最後の晩餐」パンの種類でキリスト教が対立していた
さて、次に紹介したい雑学は、キリストが描かれている絵についてである。
その絵とは、あのレオナルド・ダ・ヴィンチの最高傑作として名高いイタリア・ミラノの壁画「最後の晩餐」。そこに描かれている人物たちが食べているパンの種類が原因で、キリスト教が東西分裂の大喧嘩を起こしたことがあるのだ!
争点は「パンに酵母が入っているかどうか」だ。何だかとても些細なことだと感じられるが、キリスト教はこれが原因で約1000年もの間、対立していたのだ! 2016年に双方のトップが和解に応じ、決着がついた。
3分25秒では鮮明に映った「最後の晩餐」が見られる。ご興味のある方はこちらの動画をどうぞ。
しかし、酵母が争いに発展するとは…宗教の世界は分からないものだ…。
雑学まとめ
今回の雑学はいかがだっただろうか? 「豚に真珠」という誰もが聞いたことがあることわざ。なんとその由来となったのは、聖書にでてくるイエス・キリストの言葉だったのである。
まさかそんな高尚な存在が作りだした言葉だとは思わなかった。驚きである。
たしかにキリストのいうとおり、価値の分からない者にそれを与えても無駄なだけだろう。といっても、あまりにも豚をけちょんけちょんに貶しすぎな感はあるが、さすがキリストの教えである。