ちくわとかまぼこ。どちらも魚のすり身からできているが、ちくわには穴があり、かまぼこは板の上に乗っている。ちくわとかまぼこを見分けられない人なんていないだろう。
どちらも使う料理や食べ方でそれぞれ違う味わいがある食材だ。
しかし、このちくわとかまぼこがもともとは同じものだったというから大変だ。今回の雑学記事では、その過去を見ながら解き明かしていこう。
【食べ物雑学】ちくわとかまぼこはもともと同じもの
ちくわとかまぼこはもともと同じもので、ちくわの形状をしているものであった。
【雑学解説】かまぼこのルーツはちくわである
日本最古のかまぼこが確認できるのは平安時代。1115年に関白・藤原忠実が転居した際の『祝宴の膳の図』の中にあったとされている。
これを記録した『類聚雑要抄』の中には「蒲鉾(かまぼこ)」の文字。そして、ちくわのようなものが描かれているのだ。
魚のすり身を竹の棒に巻き付けて焼いたもの。「それってちくわじゃん!」と言いたくなるが、この料理が蒲鉾として紹介されている。なんでも植物の蒲の穂に似ていることから、こう呼ばれるようになったらしい。
つまり、かまぼこはちくわだったのだ。
【追加雑学①】ちくわの歴史
「ちくわがいつからあったのか」ということは、実ははっきり分かっていない。しかし古墳時代にはあったのではないかと推測されている。古墳時代の人は、前方後円墳やらを作りながら、ちくわも作っていたのだ。
生での保存が難しい魚をすり身にして、竹に巻き付けて焼くことで保存を可能にし、貴重なたんぱく源としていたというわけだ。その苦労があったから、現代に生きる我々もちくわを食べることができるのである。
そしてそれは、ちくわかまぼこと呼ばれることもあったそうだ。
動画内に映る、焼かれているちくわが美味しそうである。
古墳時代の人々よ。獲った魚をそのまま食べるだけに飽き足らず、すり身にしてちくわへと加工してくれてありがとう。
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【追加雑学②】かまぼこのはじまり
ちくわとかまぼこが同じものだったことは、すでに述べた通りである。では、板の上に乗った半円形のかまぼこの形状になったのはいつなのであろうか。
はっきりと時期は分かっていなのだが、室町時代の書物に板の上に乗ったかまぼこが出現している。そこには板の上に乗せたすり身をあぶるとされており、現在の蒸したものではなく、まだ焼く製法だったことが伺える。
そして、幕末になるといよいよ現代の蒸されるかまぼこスタイルが登場する。これは江戸では新たなムーブメントだったらしく、その頃の書物には「京阪では蒸したあと焼いて売るが、江戸では蒸したままで焼いて売ることはない」という記述がある。
こうしたムーブメントは定着し、蒸したかまぼこがすっかり定番となっていった。一時のブームで終わらせず、蒸しかまぼこを定着させたその手腕、ぜひ見習いたいものである。
かまぼこの板の役割
そもそも、かまぼこはなぜ板の上に乗っているのだろうか? かまぼこ板に課せられたのは、すり身を乗せる単なる台としての役割だけではないのだ。
かまぼこ板は木でできており、水分を吸ったり吐きだしたりすることができる。余計な水分をかまぼこ板が吸い取ってくれることで、雑菌の繁殖が抑えられ、かまぼこの保存性は高まる。
このように板は、かまぼこの水分調整に役立ち、かまぼこの品質を保ってくれているのだ。
さらに食べ終わった後でも、工作に使うことができる。子供の空腹を満たし、創作意欲も満たすことができる、かまぼこ板は万能アイテムなのである。
大量に作られているかまぼこの姿は壮観である。工場で作られている食べ物を見るのは面白い!
雑学まとめ
私たちの身の回りに当たり前に存在している、ちくわとかまぼこにまつわる雑学を紹介してきた。
これらはもともと同じものであった。海に囲まれた島国の日本では、魚は太古の昔から重宝され、ちくわやかまぼこも保存の効く食べ物として愛され続けてきた。
ちくわとかまぼこを食べる時には、ぜひそんな悠久の歴史に思いを馳せながら食べたいものだ。
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