現代のオリンピックでは、女子選手の参加はもはや当たり前になっている。しかし1896年、近代オリンピックが開催されるようになった当初、女子が競技に参加することは禁止されていたことをご存知だろうか。
IOC(国際オリンピック委員会)創設者である、ピエール・ド・クーベルタンが女子の参加を良しとしなかったからだ。
…一体なぜ? クーベルタン男爵は極度の男尊女卑だったのか? それとも単に女の子が苦手で、側にいるだけで緊張してしまうとか…? というのは冗談として、クーベルタン男爵が女子の参加を認めなかったことには、彼の追い求めたオリンピックへの理想像が関わっていた。
さらにこの雑学に迫っていく中で、女子も平等にオリンピックに参加できるように奮闘してきた選手たちの努力の軌跡も垣間見えたぞ!
【オリンピック雑学】近代五輪の父・クーベルタンは女子選手を認めていなかった
【雑学解説】女性選手は「競う」という行為にそぐわないと考えたクーベルタン
1894年にIOCを設立したクーベルタン男爵は、IOCに対して、女子選手にはオリンピック参加のあいだ口を開かないようにと指導した。
彼が掲げたオリンピックの理念は「より早く・より高く・より強く」だった。クーベルタン男爵は、女子の参加はその理念の妨げになると考えたのだ。
女性が男性に体力の面で劣っていることは、身体の構造が違うのだからやむを得ない。同じ競技をしても、男性と同じような記録を残すことは難しいだろう。
クーベルタン男爵は、これによってオリンピックのレベルを下げてしまうこと、単なる見せ物になってしまうことを懸念したのだ。
ただ彼は、女性には男性にない、優しさや美しさがあることは認めていた。そして、女性は競い合うのではなく、勝者を称える立場にあるべきだとした。
要するに女性が劣っているといいたいわけではなく、「それぞれ得意なことがあるのだから、より上手にこなせる人がやればいいじゃん!」といった感じである。
また、中世ヨーロッパのもつ騎士道のイメージが男性美だという点から、女子の参加を良しとしなかったという説もある。
近代オリンピックは、古代ギリシャで行われていた競技会を現代に復活させたものだ。大会に中世ヨーロッパのイメージを再現したい想いもあったのかもしれない。
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女子選手の参加は認められたものの…
クーベルタン男爵の指導の結果、1896年に開催された第1回のアテネ大会では、女子選手の参加は完全に禁止。
これには抗議の声も少なからずあったのだろう。1900年の第2回パリ大会では、少数ながらも女性の参加が認められている。
しかし参加したといっても、出場者997名のうちわずか22名だ。それも種目は、テニスなどの女性らしさのあるスポーツに限定された。そして公式に参加はしていても、女子にはメダルが授与されなかったという話もある。
女性初の金メダリストであるシャーロット・クーパーに金メダルが授与されたのかは不明だ…。
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参加を認める形こそ示しているが、明らかに否定的な態度だ。これは1900年代前半と、そう昔の話ではない。スポーツの分野に限らず、女性の社会進出はここ100年のあいだに目まぐるしく推し進められていったのだ。
【追加雑学】第1回アテネ五輪で、マラソンで抗議した女性がいた!
前項でも触れたように第1回のアテネオリンピックは、完全に女子禁制だった。しかし実は、当時マラソンの競技に非公式で出場し、見事完走してみせた女子選手がいたのだ。
40キロのコースを完走したのは、ギリシャのメルポルネという選手。彼女は参加を拒否されたことに抗議するため、非公式で完走することで「女子だってマラソンを走れる」ということを証明しようと考えたのだ。
その後限定的とはいえ、女子の参加が認められていったこともそうだが、1922年からはIOCへの抗議とも取れる「女子オリンピック」の開催など、年月を追うごとに女子の参加権を訴える動きは強まっていく。
こういった女子の参加を訴える行動はメルポルネから始まった。彼女の意志を受け継いだ女性たちの奮闘のおかげで、今現在、男女が平等にオリンピックに参加できるようになっているのだ。
雑学まとめ
今回の雑学はいかがだっただろうか。クーベルタン男爵が女子選手の参加を認めていなかったのは、女性は勝者を称えたり、奮闘した男子を労わったりする立場にあるべきだと考えていたからだった。
しかし女性がスポーツをする姿も、男性に劣らず魅力的なものだ。フィギュアスケートなど、競技によっては、強靭さよりもしなやかさ、繊細さを重視するスポーツだってある。
私たちが今、そうした男性とはまた違った女子選手の魅力に触れられるのは、過去に参加を訴えた選手たちの奮闘があってこそだ。そう考えると彼女たちが起こした行動は実に意義深い。