合格祈願などで見かけることのあるだるま。丸っこいフォルムに、力強さのある表情がなんとも特徴的だ。
さて、そんなだるまには、モデルがいたことを知っているだろうか? その人物は、インドの仏教僧で、名前も達磨(だるま)。達磨はどういう人物で、なぜだるまのモデルになったのか。
縁起物のだるまの裏にある雑学を、紹介していこう。
【歴史雑学】だるまにはモデルが存在する
【雑学解説】だるまのモデル・達磨大師とは
だるまのモデルとなった達磨大師とは、いったいどのような人物だったのだろうか。
実は達磨は、もともとはインド南部の王子様だった。しかし国王が亡くなったあと、自分から出家して僧侶になり、40年ほど修行を積むことになる。修行を積んだあとは、インドの各地を回って仏教を広め、中国にも足を運んだ。
中国にたどり着いた達磨は、武帝(ぶてい)という当時の皇帝に会った。武帝は達磨に「自分はお寺を立てたり、写経したり、僧侶を支えてきた。仏教に貢献してきた私は、どれくらい功徳(くどく=善行の見返り)があるだろうか」と聞いてきた。
達磨の答えは「功徳なんてない」というものだった。さらに武帝のやってきたことは、煩悩による善行なので、やったことを忘れると良いとアドバイス。これには武帝も「お前は何様だ!?」と激怒。
その後、達磨は皇帝のもとを去り、洛陽(らくよう)という都にある嵩山(すうざん)少林寺を訪れた。寺の裏にある山に洞窟があり、そこで座禅を組んで修行をしたのだ。
そこから弟子ができるようになり、禅宗という仏教の宗派が誕生。この禅宗が、中国から日本に伝わり、日本でも禅宗が広まっていった。
皇帝にきっぱりと物を言った話を見ると、なかなかに肝の座った人物だったと思う。そして、達磨はだるまのモデルになっただけではなく、禅宗の座禅が広まるきっかけにもなったのだから、その影響力は強いものだったのだろう。
こちらの動画でも達磨の解説がされている。
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【追加雑学①】達磨が開いた禅宗とは?
せっかくなので、追加雑学として、達磨が開いた禅宗について簡単に紹介しよう。
禅宗では、座禅を組んで瞑想し、自分の心を見つめるという修行をする。禅宗にもいろいろあるのだが、達磨の教えでは「壁観(へきかん)」という、壁に向かっての座禅を修行としている。
壁観は、達磨が説いた「二入四行論(ににゅうしぎょうろん)」をとおして悟りを開くためのものだ。
「二入四行論」では、「みんなに仏性(ぶっしょう=仏の本質)があるけど、煩悩に覆われてるから、壁観で心を見つめて仏性を明らかにしよう」という理論のもと、
- 報怨行(ほうおんぎょう):他人を恨まずに忍耐すること
- 隨縁行(ずいえんぎょう):一喜一憂しないこと
- 無所求行(むしょぐぎょう):求めないこと
- 称法行(しょうぼうぎょう):心理にかなう行いをすること
という4つの実践を行うことを説いている。
心の中の仏を見出すために、座禅をして自分を見つめるというのだ。座禅というとただ座っているだけのようにも思えるが、自分を見つめ続けるということは簡単なようで難しいことである。
ちなみに、達磨はこの壁観の修業を9年も続けたという。私なら、たぶん9時間であっても続かないと思う。まさに自分を見つめる忍耐の修業だろう。
【追加雑学②】だるまに手足が無い理由
現在私たちに親しまれているだるまには、手足が無い。このフォルムは、達磨が行った壁観の修業が関係している。
9年間壁に向かって座禅を組んでいた達磨。いつしか手足が腐ってしまい、切り落とさなければならなくなった。このエピソードをもとに、だるまは手足の無いフォルムになったのだ。
だるまが合格祈願などの縁起物になったのは、もしかしたら、達磨が手足が腐るほど忍耐強く修行したことも関係しているのかもしれない。めいいっぱい頑張れというメッセージを、だるまは自分のフォルムをとおして伝えてるのだと思う。
雑学まとめ
だるまについての雑学、いかがだっただろうか。
縁起物のだるまには、達磨というモデルがいた。彼はインドと中国を渡り歩き、最終的に禅宗の開祖となった。もしも彼がいなかったら、禅宗はおろか、だるまもなかっただろう。
達磨の理論である「二入四行論」は、なかなかに奥深いと同時に、簡単なようでとても難しい。でも、それでも忍耐強く修行した達磨は、日本で縁起物となり、目標を達成しようと祈願する人たちを見守っているのだ。
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