現在の温泉や銭湯といえば、男女別が当たりまえ。温泉旅館でたまに「混浴」という文字を見るとつい、そわそわしてしまうという人も多いのではないだろうか。
現在のような温泉や銭湯は江戸時代に登場したのだが、なんと当時は現在のように男女別に分かれていなかったという。いったい、どういうことなんだろうか?
今回は、江戸時代の公衆浴場に関する雑学を紹介していくぞ。現代とはだいぶ異なる、銭湯事情。ぜひ現代と比べながら読んでほしい。
【歴史雑学】江戸時代の銭湯は混浴が当たりまえだった
【雑学解説】銭湯は庶民の憩いの場だった
江戸時代、現代のようなお風呂は登場したが水道が引かれていなかったため、お風呂がある家はほとんどなかった。そのため、身分関係なく皆が銭湯を利用していた。
さらに当時の江戸の街は、湿気の多い気候プラス関東特有の強風で砂ぼこりが舞い上がり、すぐに全身がほこりまみれになってしまっていた。そのため、1日4~5回もお風呂に入るほど、江戸の人たちはお風呂が好きだったといわれている。
こんなに需要があるのに、どうして男女別にしなかったのかって? それは、当時の江戸が抱える「火事・薪不足・水不足」といった3つの問題からきている。
当時、毎日のように江戸では火事が頻発していた。男湯と女湯に分けると当然その分、火事のリスクも高くなる。加えて、お湯をわかすのに必要な薪や水も倍、必要になる。そんな経済事情もあり、混浴が当たりまえとなり銭湯は庶民の憩いの場となっていたのである。
【追加雑学①】混浴禁止令は出されていたが、定着しなかった
実は、風紀上の問題から明治時代何度も混浴禁止令は出されていた。しかし、上記で説明したような「火事・薪・水不足」問題のため、禁止令で禁止されては復活して…の繰り返しをしていたのだ。
そんな当時の江戸のお風呂事情をまとめた動画がこちらだ。
実際に映像で見ると分かる通り、現代の銭湯とかなり違う。え? 混浴で間違いがおきなかったのかって? たしかに銭湯には年ごろの若い女性もいるから、男性がムラムラする可能性も高い。
しかし、そこはいくら混浴といえども、若い女性に対しては、おばさんや母親が変な男性が手を出さないよう鉄壁のガードで守ったという。さらに、威勢のよい女性にいたっては、少しでも触られようなら相手に向かって怒声を浴びせかけたともいう。いつの時代も女性は強いということだ。
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【追加雑学②】江戸時代、銭湯で髪を洗うのが禁止されていた!?
実は、江戸時代の銭湯では深刻な水不足から、銭湯で髪を洗うのが禁止されていた。では、江戸の人たちはどこで髪の毛を洗っていたのだろうか?
男性は、数日に1回の頻度で、「髪結い床(かみゆいどこ)」という当時の床屋でお手入れをしてもらっていた。しかし、問題は女性。上の動画にもあるが女性は皆長い髪を結っている。
この長い髪。洗うのも大仕事。なによりも貴重な水を使わないと洗えない。そんなわけで、江戸の女性は月に1~2回しか髪の毛を洗えなかったという。さすがに夏場は回数も増えたらしいが、金たらいに水を張り、ふのりにうどん粉を混ぜたものをシャンプーとして使っていたという。
洗ったら洗ったらで、今度は長い髪を乾かすのも一苦労。髪を洗うときは天候も気にしないといけなかったらしい。
【追加雑学③】銭湯の2階には男性専用の休憩所があった
江戸時代には、江戸の銭湯の2階にだけ、男性専用の休憩所があった。実はこの時代、銭湯には「湯女(ゆな)」と呼ばれる美しく着飾った女性が、お客の着替えを手伝う・背中を流す以外に性的サービスもしていたのだ。
この湯女の存在で銭湯は一時期、吉原をしのぐほどの大人気。その湯女が性的サービスを行う場所として銭湯の2階に専用スペースが作られていたのだ。
その後、時代の経過とともに湯女はいなくなり、座敷は武士の刀を預かるスペース、男性専用休憩所へと変わっていった。この休憩所の利用料金は、入浴料の他に10文(150円)を支払い将棋や碁、世間話とのんびり過ごしていたという。
この休憩所には小さいが喫茶コーナーもあり、かりんとうや千菓子といった甘味や茶もふるわれたというから、まさに江戸の男性にとっては至福の空間だったことであろう。
雑学まとめ
今回は、江戸時代の銭湯事情についての雑学をご紹介した。この江戸時代の混浴、幕末にあの黒船で有名なペリーが混浴の様子を見て絶句しているという後日談もある。その後、明治時代に入り世界の目を気にした政府が混浴の厳重な取り締まりを行い、ようやく今日のような男女別になっていく。
ちなみに、江戸時代の銭湯のお湯は、およそ47度となぜかものすごく熱かったという。そこは江戸っ子。やせ我慢をしていたというが、いくらなんでも熱すぎだろう。
銭湯や温泉に行く機会があったら、今回紹介したトリビアを思い出すときっと楽しい気分になれるはずだ。
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