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超過酷!日本初の駅伝は"京都〜上野間"を3日間で516キロ走った。

雑学カンパニー編集部

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日本初の駅伝は、京都〜上野間を3日間で516キロ走ったという雑学

日本初の駅伝

今回の雑学テーマは、駅伝について。

駅伝は正式には駅伝競走という名称になるのだが、当初は、マラソンとリレーを合体させて「マラソンリレー」として発表される予定だった。長い距離をリレー形式で走るからというそのまんまなネーミングだった。

仲間にタスキを渡すため、懸命に走る姿。チーム全員の力が合わさってこそのゴール。見ているだけで胸が熱くなる魅力が駅伝にはある。

なんと駅伝は日本発祥のスポーツなのだ! そしてその第1回目は超過酷だった!

【スポーツ雑学】日本初の駅伝は、京都〜上野間を3日間で516キロ走った

日本初の駅伝は、京都〜上野間を3日間で516キロ走ったという雑学

新人ちゃん
超過酷って、どれぐらいの距離だったんですか?

マッチョ課長
驚くなよぉ…日本初の駅伝は、京都から東京の上野まで、3日間で約516キロのコースを走ったのだぁ!
新人ちゃん
えぇぇ~!3日間で516キロ!

【雑学解説】日本初の駅伝はゴールまで3日かかった壮大なレースだった

日本初の駅伝が行われたのは1917年(大正6年)のことで、京都の三条大橋から東京の上野不忍池まで、約516キロのコースを23区間で競い合いゴールを目指すという壮大なレースだった。ゴールまで3日もかかる…。

新人ちゃん
規模が大きすぎません?

関東組関西組に分かれた選手たちは昼も夜も走ってタスキをつなぎ、結果は関東組が関西組に1時間半近くの差をつけて勝利した。

この時に関東組のアンカーだったのは、日本で初めてオリンピックに出場したマラソン選手・金栗四三だった。

新人ちゃん
あっ…あの「金栗四三」ですねぇ!NHKの大河ドラマのモデルになっている人~。

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なぜ日本初の駅伝は京都から上野を目指すコースだったの?

この年は、「東京奠都五十周年」だった。奠都(てんと)というのは、新しい都を定めるという意味がある。東京が新しい都として定まってから五十周年を記念し、読売新聞社がこの駅伝を発案・主催したのだ。

コースは、1868年(明治元年)に明治天皇が京都から東海道を通り、江戸城に入って東京が新しい都になったことから、このルートを再現しようという発想で、京都から上野のコースに決定した。

この駅伝の最長区間は33キロだったのだが、この区間でアキレス腱を切ってしまった選手がいたという。しかし、駅伝…。タスキを繋げなくてはいけないのだ。

マッチョ課長
駅伝も「1人は皆のために、皆は1人のために」の精神だ!

次の走者はなんと前の選手の分も合わせて、40キロ以上走りタスキを繋いだというのだ。まさに壮大で壮絶なレースだった。

新人ちゃん
私だったら途中で棄権してます…(泣)

神宮皇學館の武田千代三郎に「東海道駅伝徒歩競争」と名付けられたこのレースが日本での駅伝の発祥となり、お正月恒例の「大学対抗箱根駅伝」は、この3年後に誕生するのである!

【追加雑学①】「駅伝」という名前の由来

「駅伝」という名前の由来に関する雑学「駅伝」という言葉は、実は日本最古の歴史書・日本書紀にも書かれている。

新人ちゃん
そんなに古くからある言葉なんだぁ!

古代、首都と地方をつなぐ道路には、「駅制」が定められていて、宿泊できる宿や乗り継ぎの馬を置く中継所のような施設が作られた。これを駅と呼んでいたのだ。

また「伝馬制」を定め、首都と地方を行き来する朝廷の使者は、この駅で乗り継ぎの馬に乗り、また次の駅まで走る。そうやって伝達していたのだが、この制度を「駅伝貢進(こうしん)」と呼んでいたようだ。

【追加雑学②】駅伝のルーツは江戸時代の飛脚だった

駅伝のルーツは江戸時代の飛脚だったといわれている。

時代劇にも登場しているのを見たことがあるかと思う。着物の裾をまくり、身軽に街道を走る人。あれが飛脚だ。

江戸時代には参勤交代という制度があった。江戸から藩、藩から江戸へと情報を伝える必要があった。

しかし、郵便もない、電話もない。新幹線や飛行機でびゅーんと行ける現代とは違う。伝えるために走るしかなかった。

マッチョ課長
便利な世の中になったなぁ~。

そこで飛脚が大活躍した。しかし遠い地方まで一人で走り切るには時間がかかる。飛脚だって休みたい。

しかし、何人かでバトンタッチすればどうだろう。常に元気いっぱいの飛脚を交代で走らせればロスが少ない。早く情報を伝えることが出来る。

こうして、情報をいち早く伝えるためにバトンタッチして走った飛脚こそが、駅伝のルーツなのだ。

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【追加雑学③】日本初の駅伝では川は渡し舟で渡った

日本初の駅伝では川は渡し舟で渡ったという雑学現在は道路が整備され、川を渡るにも橋がかかっているのが当たり前になっているが、初めて駅伝が行われた頃は、天竜川・木曽川には橋がまだなかった。

そこでどうしたのか…。なんと、選手は渡し舟に乗って川を渡ったのだ。

しかし、渡し舟が岸から岸へと川を渡る時間は、必ずしも同じではないだろう。それでは勝ち負けを決める競争には不平等だ。

新人ちゃん
わざわざ川をコースに設定しなくても…
マッチョ課長
設定してしまったものは仕方がない!

そこで、川を渡るのにかかる時間をあらかじめ長めに決めておき、それより早かった場合は待たせて調整したというのだ。

うまく考えたものだ…と、感心する。

【追加雑学④】駅伝が世界に広まらない理由

駅伝は日本では人気のあるスポーツだが、海外ではどうだろう…。

マラソンの世界大会はよく耳にするが、駅伝の世界大会って…少なくとも私は耳にしたことがない。

実際、海外でも駅伝は行われているのだが、日本ほどの盛り上がりはないようだ。海外では、やはりトラック競技の方が断然人気があり、0.01秒を競うレースの方が盛り上がるようだ。

新人ちゃん
えぇぇ…駅伝おもしろいのに…

仲間とともにゴールを目指す! なんとしてもタスキをつなげるんだ…。汗が染み込んだタスキに思いをつなげて走る姿。その仲間意識とひたむきに頑張る姿がいいんじゃないの!

と、がっちり日本人の心を掴んでいる駅伝だが、海外ではそれほどの感動はないようだ。やはり駅伝は日本人が作った日本人らしい競技だということなのだろう。

雑学まとめ

駅伝に関する雑学まとめ今回は、駅伝についての雑学を紹介した。駅伝が日本発祥だということも初めて知ったが、ルーツが飛脚だったことが興味深い。

ちなみに、駅伝でバトンの代わりにタスキをつなげる理由。長く走るのに手に持っているとジャマになるからだと私は勝手に思っていたが、あのタスキも飛脚の名残なのだ。

新人ちゃん
勉強になりましたぁっ!
マッチョ課長
私もダイエットするために走らんとなぁ…
新人ちゃん
それよりも筋肉を落とした方が…

飛脚は手紙や荷物を持って走るが、その際に着物がジャマになるためタスキで着物を縛って走った。そのタスキが由来だといわれている。

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