オリンピックで授与される金・銀・銅メダルの並びはいつからあったのか、気になったことはないだろうか。そもそも銅より銀、銀より金が優れていると誰が決めたのか…。
「イメージ的にそんな感じじゃん?」といってしまえばそれまでだ。しかし、この3つのメダルのうち、金メダルがなかった時代があることをご存知だろうか。
「金メダルがなかった? 銀や銅のほうが上だったってこと?」と問いたい気持ちはわかるが、これには当時のオリンピック運営のどうしようもない理由がある。
今回はそんな、オリンピック第1回大会のメダルに関する雑学をお届けしよう!
【オリンピック雑学】第1回アテネ五輪では金メダルがなかった
【雑学解説】アテネオリンピックの1位は銀・2位は銅・3位はメダルなし!
第1回オリンピック大会は、ピエール・ド・クーベルタン男爵の発案をもとに、1896年にアテネにて行われた。そして当時から大会で優秀な成績を残した者には、記念に表彰のメダルを贈る習わしがあった。
現代ではお馴染みの金・銀・銅というメダルの並びも、この頃から概念としてあったようだ。この並びは単純に金属の価値や、ギリシャ神話に描かれる「黄金時代」・「白銀時代」・「青銅時代」を体現したものだともいわれる。
しかし金の値段は高く、大会の運営費では作れて銀メダルまでが関の山だった。よって第1回大会では「1位は銀メダル」・「2位は銅メダル」・「3位は賞状のみ」とされたのだ。
オリンピックの3位は偉業に違いないが、金が使えないという理由で何もなしというのはなんだか悲しい…。
当時授与された銀メダルのサイズは、直径48.9ミリ・厚さ3.6ミリ・重さ68グラムだった。ちなみに現在は直径70~120ミリ・厚さ3~10ミリ・重さ500~800グラムの範囲内のものが正規のメダルとされている。
現在の規定の半分以下のサイズだったことからも、大会運営の費用がかなり限られていたことが伺える。運営陣も発足して間もないのだから、当然といえば当然だろうか…。
ちなみにメダルはフランスの彫刻家ジュール・シャプランによってデザインされた。
メダルにギリシャ神話に登場する神々やアクロポリス神殿が描かれているのは、オリンピックの起源となった古代ギリシャへの敬意の表れだろう。
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【追加雑学】第1回オリンピック優勝メダルは日本人に贈られている!
今回話題に挙げた第1回オリンピックの銀メダルは、実は後に日本人の手に渡っている。といっても、第1回大会に日本人が出場したわけではない。
「じゃあどうして日本人が持ってるの? オークションにでも出たのか?」と問いたくなるが、それなら「贈られた」とはいわないだろう。
第1回大会の銀メダル(優勝メダル)を手にしたのは、第18回東京オリンピックの体操競技において、男子個人総合・種目別平行棒などで金メダリストに輝いた遠藤幸雄氏だ。
贈られたメダルは、当時鉄棒で優勝を飾った、ドイツのヘルマン・ヴァインゲルトナー氏のもの。
ヘルマン氏は1919年に亡くなっており、メダルは遺族によって保管されていた。そして1964年の遠藤氏の活躍に感動した遺族は「このメダルは遠藤氏が持っているべきだ」とし、贈ることに決めたのだ。
世界一を決めるオリンピックの舞台で、日本人がこれだけの栄光に輝いたことは実に誇らしい。
遠藤氏は、この由緒あるメダルを「自分だけのものにするべきではない」と考え、秩父宮記念スポーツ博物館へと寄贈することに決めた。そのおかげで今も博物館へ行けば、この銀メダルを目の当たりにすることができる。
…といいたいところだが、なんとこのメダルは2010年に盗難に遭ってしまい、現在は見ることができない。ヘルマン氏の遺族や、遠藤氏の想いを踏みにじるような、なんとも愚かしい行為が起きていたことに驚かされる。
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雑学まとめ
第1回目のオリンピックでは、財政難から金メダルが作れなかったという雑学をご紹介した。
しかし重要なのはメダルの色ではない。メダルの価値は、選手の残した功績そのものにある。当時3位の選手に贈られた賞状にしても、形が違うだけでメダルと同等の価値があるはずだ。
現在作られている金メダルも、原価にしてみれば数万円がいいところ。価値は金額では計れない…日常に置き換えても、思い出の詰まった品はどんな高価な物より価値があったりするものだ。