現代では、手術をすれば当たり前のように全身麻酔を施される。体を切る痛みなんて絶対ダイレクトに味わいたくないし、麻酔がない世界なんて考えられない!
でも、すべての技術には発明があり、始まりがある。麻酔薬のない昔は、もちろん麻酔なしでの手術が普通だったのだ。
だめだ、想像するだけで痛い…。
そうした地獄のような世界で、初めて麻酔薬を開発し、全身麻酔を成功させた日本人がいた。その名は華岡青洲(はなおかせいしゅう)。
彼は壮絶な実験を繰り返し、人々を痛みと恐怖から解放したのである!
【歴史雑学】初めて麻酔薬を開発した華岡青洲は、実母と嫁の体で人体実験をしていた
【雑学解説】実験により母は死亡、妻は失明
代々医者の家系に生まれた青洲は、患者のため献身的に治療を施す父の背中を追いかけ、医師の道に進む。そこで目にしたのは、痛みに耐えなければならない壮絶な外科治療だった。
「どうにかして患者の痛みを和らげたい」そう考えた青洲は、麻酔薬の開発を志す。
中国の古い書物をヒントに、忙しい仕事の合間を縫って山へ向かい、麻酔薬に使えそうな薬草を探して奔走する青洲。薬草の種類や配合を少しずつ変えながら、試薬をつくっては野良犬に与えて実験をしたが、なかなかうまくいかず、野良犬は何匹も死に至った。
そうした試行錯誤を繰り返し、実に10年もの月日を経て、動物実験に成功したのである。青洲はこのとき出来た薬に「通仙散(つうせんさん)」という名前をつけた。
だが、「通仙散」を医療現場で使用するためには、人間の体への安全を立証しなければならず、それには犬の実験では不十分だった。
行き詰まった青洲に自ら実験台を申し出たのが、彼の母と妻。危険な実験だけに青洲は断ったが、それでも二人の決意は変わらず、とうとう彼女たちに麻酔薬を飲ませる実験が始まった。
二人に薬を飲ませては、改良を続ける日々。そんななかで、母と妻の二人には悲しい代償が待っていた。
母の於継(おつぎ)は死去。
そして最愛の妻も薬の副作用で失明してしまう。
そんな悲劇が起こったあとも、青洲は自分の体を使って実験を続け、開発を始めて20年後、とうとう「通仙散」を完成させたのだ。
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【追加雑学①】青洲が開発した麻酔薬の原料は?
一歩間違えればとんでもない危険が伴う青洲の「通仙散」。いったいどんな材料が使われていたのだろうか。
中国では三世紀ごろに、チョウセンアサガオを使い麻酔を行ったという言い伝えが残っていた。青洲はこの言い伝えをヒントに麻酔薬の開発を始めたのだが、わかっていたことはチョウセンアサガオが使われていたことのみで、その分量や使い方などといった具体的な記録は何も残っていなかった。
そこで青洲はチョウセンアサガオを主成分に、鎮痛作用のあるトリカブト・センキュウ・ビャクシ・トウキといったいくつもの薬草を配合して「通仙散」を作り上げた。
チョウセンアサガオやトリカブトは鎮痛作用がある反面、少量で致死量に至るとても強力な毒草でもある。このことからも、非常に繊細な配分で作り上げられた薬であることがうかがえる。
【追加雑学②】世界初の全身麻酔を使った手術は?
さて、紆余曲折を経て麻酔薬を開発した青洲。彼が初めてそれを実践したのは1804年のこと。
一人の老婦人が彼の元を訪ねてきた。彼女は末期の「乳がん」に冒されており、他の医者には治療を拒まれたという。青洲の噂を聞きつけて診療所に来た彼女に、青洲は手術を施すことにした。
世界で初めての全身麻酔を使った手術は無事に終了。患者は痛みを感じることなく乳がんを取り除くことができた。
青洲の人生をかけて挑んだ麻酔薬の開発はとうとう成功を収めたのであった。
雑学まとめ
壮絶としか言いようのない人体実験の果てに完成した麻酔薬。
科学や技術の進化には産みの苦しみが伴うものである。そして、彼らのおかげで私たちは今日も安心して手術を受けることができる。
私たちが生きる豊かな生活は、こうした多くの苦しみに支えられているのだろう。
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