人間にとって外界を認識するうえで大切な器官となる「視覚」や「聴覚」。仮にこれらの機能が失われてしまったら、これまで通りの生活をおくることは困難に違いない。
視覚や聴覚を失った人物と聞いて、真っ先に思い浮かぶのがヘレン・ケラーである。彼女はこうした機能を失っても、嗅覚や触覚のはたらきを頼りに、外界の動きを察知していたという。この記事では、ヘレン・ケラーの雑学についてご紹介する。
【歴史雑学】ヘレン・ケラーは嗅覚と触覚で人を判別できた
【雑学解説】ヘレン・ケラーは目や耳が聞こえなかったが…
視覚・聴覚をはじめ、言葉を話すこともままならなかったヘレン・ケラー。彼女は家庭教師・サリヴァンの献身的な尽力もあって、後に世界中に知られるようになった、19世紀の奇跡と讃えられた人物でもある。
ヘレン・ケラーは、1880年6月、アメリカ・アラバマ州の北部、タスカンビヤの町近くで、誕生した。多くの赤ん坊に負けず、すくすくと育っていた。
だが、1歳7ヵ月になった頃、原因不明の高熱と腹痛におそわれ、その影響で耳と目が機能しなくなったという。そんな失意な日々のなか、7歳のときに生涯の恩人となる、ある先生との出会いが待っていた。
21歳のアンニー・サリヴァンである。彼女は、ヘレン・ケラーの家庭教師として赴任し、献身的に努力した甲斐もあって、ヘレンは3カ月目で300の言葉を習得したとされる。
以後、2人の関係は50年間にわたって続くことになった。
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下の動画は、生前の2人の姿を映したものである。貴重な動画だぞ!
ヘレン・ケラーは、光と音が遮られた世界に生きながらも、人なみ以上に嗅覚覚や触覚が発達し、その機能を頼りに世界を認識するに至った。
それを物語るように、彼女は嗅覚のみで人物の性格を把握したといわれており、「大人には人格をあらわすニオイがある」との言葉も残しているという。また嗅覚のみならず、人と握手した際の手触りや握り方でも、人物の性別や年齢を言い当てたとされる。
つまり、彼女は自分に触れてくる外界の情報や気配を鋭敏に察知し、その痕跡を手掛かりに世界を把握していたのである。
アメリカの作家・マーク・トウエインは、彼女を評して19世紀の奇跡の人物のひとりとして讃えたといわれる。
【追加雑学】ヘレン・ケラーと日本人にまつわる意外な関係
つぎにヘレン・ケラーと日本人とのエピソードをご紹介しよう。彼女が幼少の頃、ある日本人と出会っている。それが現地に留学していた教育者・石井亮一である。石井はヘレンが初めて会った日本人とされており、その際、面会もおこなったそうである。
石井亮一は、日本初の知的障害児者教育・福祉施設「滝乃川学園」を創立した人物として、日本の知的障がい児者における「福祉の父」ともいわれている。
もうひとり、ヘレンが幼少時、手本にして勉強したといわれるのが江戸時代の国学者・塙保己一(はなわほきいち)である。塙は、生まれつき病弱で7歳のときに失明したが、手のひらに指で字を書いてもらうことで、文字を覚えたとされる。
後に、幕府の盲官の最高職・検校(けんぎょう)にまで上り詰めている。ヘレンは母親からその存在を聞かされ、彼と同じように手のひらに文字を書いてもらい、文字を覚えていったとされるのだ。
19世紀の「奇跡の人」といわれたヘレン・ケラーには、実は2人の日本人が関わっていたのである。
雑学まとめ
以上、ヘレン・ケラーは嗅覚や触覚だけで人を判別できたことと、彼女と日本人にまつわる2つの雑学についてご紹介してきた。
ある日、突然世界の光や音を失う。筆者にはとうてい想像できない世界だが、それでも彼女は外界から聞こえる音や手に触れる感覚で、外界や人の微妙な気配を感じ取っていたのである。
こうした事実にふれると、人間には計り知れない可能性が秘められていることにあらためて驚いてしまう。
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