五輪のスゴい人

人見絹枝と有森裕子の"8月2日"の因果。女子メダリストの奮闘

雑学カンパニー編集部

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人見絹枝と有森裕子にある「8月2日」の因果に関する雑学

日本人女子初のメダル獲得を果たした人見絹枝。そして、日本人女子二人目のメダル獲得者となった有森裕子。この二人の残した功績は、日本人女子のオリンピック参加に対して多大な影響を与えた。

当初日本では女子がオリンピックに参加することに、偏見の目が少なからずあった。その逆境の最中「女子選手が活躍する未来が必ずくる」と信じて奮闘したことにこの二人の共通点がある。

そしてこの二人には、同じ未来を信じたというだけでなく、他にも運命としか思えないような因果があった。今回の雑学記事では、それについて取り上げていく。

【スポーツ雑学】人見絹枝と有森裕子にある「8月2日」の因果

新人ちゃん
人見絹枝選手と有森裕子選手って共通点が多いって聞いたんっすけど…。
マッチョ課長
人見絹枝選手がメダルを獲得した64年後の同じ日に、有森裕子選手がメダルを獲得している。そのほかにも、二人は出身地などの共通点も多かったんだ。

【雑学解説】人見絹枝と有森裕子は「8月2日」のメダリスト

1928年8月2日、アムステルダムオリンピックの800m走において、人見絹枝が日本人女子初の銀メダルを獲得した。このメダル獲得には、多くのドラマが隠されている。

まず人見はオリンピックの舞台にあがるまで、800m走を走ったことがなかった。彼女の専門は100m走で、本当は100mでいい記録が残せたら、そのまま日本へ帰るつもりでいたのだ。

しかし肝心の100m走は惜しくも準決勝で敗退。人見は悔しさのあまり、夜な夜な涙を流したという。そして「このままでは日本へ帰れない」という想いから、続く800m走への出場を決めたのだ。

新人ちゃん
8倍も距離がある競技に参加するなんて…よっぽど悔しかったんっすね…。

彼女をそこまで奮い立たせたのは、当時日本国内にはびこっていた、女性選手に対する偏見の目だった。人見のもとには、競技に参加することを非難する手紙が何通も届いていたという。

内容は「人前で太ももを堂々と晒して…日本人女性として恥ずかしくないのか」のようなものだ。スポーツに打ち込む様子を称賛しようという前に、恥ずかしいこととする…それが常識としてまかり通っていたことを思うとゾッとさせられる。

マッチョ課長
人見絹枝選手が陸上を始めたとき、周囲からは冷たい目を向けられていたそうだ…。そんなひどい時代の中でよく走りぬいたよな…!

ただ、人見は非難の声には一切ひるまなかった。彼女は当時「私のことはいくらでも罵ればいい。ただ後続の選手や女子陸上協会には指一本触れさせない」という名言を残している。

…なんと肝が据わった女性なのだろう。女子選手に対する偏見の目を変えたいという想いの強さが伝わってくる。走ったことがない800mの出場を決めたのも、根底にはその常識を変えたいという想いがあったに違いない。

このようにして人見は、800m走で見事銀メダルを獲得してみせた。その走りはゴールと同時に意識を失ったぐらい、全力を尽くしたものだった。人見は後続の女子選手たちのために、命を燃やして走ったのだ。

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64年後の同じ日にメダルを獲得した有森裕子

人見絹枝が銀メダルを獲得してから64年後、1992年のバルセロナオリンピックのマラソン競技にて、有森裕子が日本人女子史上二人目の銀メダルを獲得する。

驚いたことに、彼女がメダルを獲得したのも、人見と同じ「8月2日」だったのだ。しかも有森は人見と同じく岡山の出身で、有森の祖母は人見の学生時代の後輩だという。偶然とはとても思えない巡り合わせだ。

新人ちゃん
スゴイ奇跡じゃないっすか!

有森が二人目ということは、同時に人見以来、64年も日本人女子がメダルを獲得していなかったということになる。

結果を残せていないことから、人見の頃ほどではないものの、この頃の日本にも「女子がオリンピックで活躍するのはやっぱり厳しい…」という空気があった。

有森はそのプレッシャーを跳ね返すため、当時罵声を浴びながら立派に戦い抜いた人見の写真を持ち歩いていたという。メダルを獲得したあと、人見の墓前にも報告に訪れている

そしてこれもまた不思議な話で、人見が亡くなったのも8月2日なのだ。彼女は24歳という若さで肋膜炎(ろくまくえん)に肺炎を発症し、この世を去った。

死に際して人見は「私が死んだら、運動のやり過ぎで死んだと思われないだろうか。女子にスポーツをやらせるのは、やはり危険だと思われてしまわないだろうか」と嘆いたという。

マッチョ課長
自分の死に際でさえも女子スポーツ界のことを考えていたとは…。なんと強い思いを持っていたんだ!

有森がメダルの獲得を報告したことにも、人見は天国で喜んでいたはずだ。

バルセロナでの有森の走りを映した動画も紹介しておこう。銀メダルの時点で快挙だが、優勝選手のエゴロワにもギリギリまで食らいついているぞ! ゴール直後に二人が抱き合う姿からも「どちらが金でもおかしくなかった」ということが伝わってくる。

新人ちゃん
いいゴール!感動的っすね!

【追加雑学】岡山には人見の功績を称える道路がある

岡山には通称「人絹(じんけん)道路」と呼ばれる道路がある。これはレーヨンという化学繊維を作る工場と、岡山市中央部を結んだ「岡山県道40号岡山港線」のことだ。

人絹というのは、もともとその工場で作られる化学繊維のことを表していた。しかし人見絹枝」という名前とその文字が合致したこと、彼女が通った岡山市立福浜小学校が道路沿いにあることから、人見の功績を称える道路と呼ばれるようになる。

たまたま偶然が重なっただけといえばそれまでだ。しかし神様が「彼女の功績はもっと称えられるべきだ」といっているようにも取れる。

マッチョ課長
彼女が日本スポーツ界に与えた影響は大きいぞ!

雑学まとめ

今回の雑学はいかがだっただろうか。人見絹枝と有森裕子。日本人の女子選手が今、オリンピックの舞台で胸を張って活躍できることに、この二人の存在は欠かせないだろう。

そして有森が人見と同じ日にメダルを獲得したのは、女子スポーツ界の行く末を憂いていた彼女への報酬だとも取れる。同じ想いをもった二人には、どこか共鳴し合う部分があったのではないだろうか。

マッチョ課長
人見絹枝選手から有森裕子選手に受け継がれた熱い思い…。これからも日本人女性アスリートたちがどんどん世界に羽ばたくといいな!!
新人ちゃん
そうっすね。同じ女性としても応援していきたいっす!

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