世界に日本画の美しさを知らしめた画家、葛飾北斎。江戸時代を代表する天才浮世絵師で、あの有名な画家ゴッホやモネも影響を受けたと言われている。
葛飾北斎の名前を聞いたことがないという人は少ないだろうが、葛飾北斎の娘のことはご存知だろうか。娘がいたことすら私は知らなかったが…。実は娘も、父に引けをとらないほどの天才浮世絵師だったのだ!
今回は、葛飾北斎とその娘にまつわる雑学を紹介するぞ!
【歴史雑学】葛飾北斎の娘・葛飾応為は天才浮世絵だった
【雑学解説】葛飾北斎の娘は、「おんな北斎」と呼ばれるほどの天才浮世絵師だった
葛飾北斎には2人の息子と3人の娘がいたのだが、末っ子の「お栄」には、父ゆずりの画才があったようだ。父である北斎はお栄の才能を見出し、自分が挿絵を描いていた歌集に、お栄にも挿絵を描かせている。なんとお栄が10歳の時だったというからおどろきだ。
お栄は一度、絵師のところに嫁に行ったのだが、身なりも気にせず、家事もしない。あげくのはてに、旦那が描いた絵を下手だと指をさして笑ったという…とんでもない娘だったようだ。
結局離縁され、北斎の元へ出戻ってきたお栄は、父の絵のアシスタントをしたり、自身も「葛飾応為(かつしかおうい)」の画号(ペンネームのようなもの)で、浮世絵師となっていくのである。
この「応為」という画号は、父の北斎が娘を「おーい、おーい」といつも呼んでいたことから、そのまま「おうい」となったようだ。そんな、テキト~な感じの父娘だったのかもしれない…。
父の才能を受け継ぎ、父のそばで描き続けた応為の実力はハンパなかった。浮世絵はもちろんのこと、西洋画風を取り入れ、光と影を表現した天才的な技術で描かれた作品は、ため息が出るほどの美しさだ。
葛飾北斎の娘・応為は、まさに「おんな北斎」と呼ばれる天才浮世絵師だったのである。
【追加雑学①】葛飾北斎の娘は、男勝りで破天荒な江戸っ子気質だった
応為は、酒とタバコが好きで、言葉使いも荒く、まるで威勢の良い江戸っ子のような性格だった。弟子に対しても、姉御肌で接していたという。
北斎の絵の上にタバコの火を落としてしまい、ひどく後悔して禁煙をしたというエピソードが残っている。天才・葛飾北斎の絵にタバコ…。絵の上でタバコを吸うような状況が考えられないが、破天荒ぶりが想像できる。
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【追加雑学②】葛飾親子は、引っ越しを90回以上している
葛飾北斎はひんぱんに引っ越しをしていたと言われているのだが、その理由がすごい…。
北斎と応為は、とにかく絵に没頭し、他のことは気にならなかったのか、部屋が荒れ放題だったという。食べたあとの片づけができず、ゴミがあふれて足の踏み場がなくなると引っ越しをしていたというのだ。
その回数、90回以上! ゴミ屋敷の中でたくさんの歴史に残る作品が描かれたのかと思うと複雑だ…。葛飾親子は、かなりの変わり者だったようだ。
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【追加雑学③】北斎は、「美人画は娘にかなわない」と言うほど、娘を認めていた
箸を持つより、絵筆を持つ方が楽しいとまで言う応為の作品は、父の北斎も認めざるをえないほど素晴らしいもので、あの葛飾北斎が、「自分が描く美人画は、お栄にかなわない」と語るほどだったという。
葛飾応為の作品をまとめた動画を発見!
実際に、応為の作品が見れるぞ!
葛飾北斎も認めた才能…ため息が出るほど美しい絵だ。
江戸時代の吉原遊郭の様子を描いた「吉原格子先図(よしわらこうしさきのず」という絵は、まるで写真のように繊細で見入ってしまう。ちょうちんの火が本当に灯っているようだ…。美術館などで展覧されている際にはぜひ!
雑学まとめ
今回は、葛飾北斎とその娘にまつわる雑学を紹介した。娘のことは全く知らなかった…。天才浮世絵師の父から才能を受け継いだ娘なんて、カッコよすぎるじゃん! と思うが、変わり者ぶりまで親子で同じだったとは…。
しかし、娘の作品がすごい! 思わず見とれてしまうほどのすごい絵だ! こんなすごい絵を描いていた葛飾応為。もっとクローズアップされても良いのでは?