新婚旅行を英語でいうとHoney Moon…日本語に直訳するとハネムーン。 女性ならば誰しも夢見るものではないだろうか。
ところで、よく歴史番組などで日本初の新婚旅行に行ったといわれる坂本龍馬。 今回はそんな幕末英雄の新婚旅行についての雑学を紹介しようと思う。
【歴史雑学】日本初の新婚旅行は坂本龍馬じゃない
【雑学解説】坂本龍馬じゃなかった!?新婚旅行を進めたのは薩摩の重鎮たち
結論から言うと、坂本龍馬は新婚旅行を行ったが、日本初ではない。
坂本龍馬といえば、尊王攘夷を掲げる志士たちは天皇を戴き、外国人を排斥することに終始した人物が多い中で、貿易結社「亀山社中」そして「海援隊」を結成し、当時の日本においての外交をまっさきに行った人物といえるだろう。
そんな彼のイメージから、新婚旅行という外国の慣習である新婚行事を日本で初めて、かつ自分から行っていてもおかしくないと思われるかもしれないが、実は坂本龍馬は自分から行ったわけではない。
彼の新婚旅行は、実は有名な薩摩出身の西郷隆盛と、薩摩藩若手で家老の小松帯刀(こまつたてわき)に勧められて行ったもので、自発的に妻であるおりょうを新婚旅行に誘ったわけではないかった。
また、小松帯刀が龍馬夫妻より前に新婚旅行に行った記録があるので、日本初でもないようである。
【追加雑学①】坂本龍馬とおりょうの新婚旅行は政治的な策略だった!?
坂本龍馬とおりょうの結婚のきっかけはご存じだろうか。
元々、坂本龍馬はおりょうが働く旅籠(今でいう旅館)の寺田屋をよく宿舎としていたが、1866年1月24日の午前3時頃に、脱藩浪人であった坂本龍馬を捕えようと伏見(今の大阪近辺)奉行所の役人が、寺田屋を包囲する。
その時、たまたま寺田屋1階で入浴中だったおりょうが伏見奉行の包囲に気付いて、素っ裸のまま2階に部屋をとっている坂本龍馬に知らせる。そのおかげで坂本龍馬は拳銃で応戦し難を逃れ、二本松の薩摩藩邸にかくまわれることになった。
龍馬は嫁入り前のおりょうが素っ裸でも恥じることなく、急いで自分に伝えてくれた肝っ玉に惚れて結婚に至るわけだが、京都に脱藩浪人として有名な坂本龍馬がいるという情報が出回った薩摩藩は困ることになる。
当時の薩摩藩は表面上、幕府側の立場をとっていた。かくまったはいいが、坂本龍馬は秘密同盟である薩長同盟の立役者であり、龍馬から芋づる式に自分たちの本来の思惑がばれてしまう恐れがあった。そこで、自分たちのホームグラウンドである薩摩藩に行ってもらい、そこでほとぼりが冷めるまでかくまおうと考えたわけだ。
坂本龍馬とおりょうの新婚旅行は、薩摩の政治的な戦略によってお膳立てされたものだったといえる。
スポンサーリンク
【追加雑学②】坂本龍馬の新婚旅行…実は日本初じゃなかった!
誰が日本初かを調べあげることはできなかったが、少なくとも坂本龍馬以前に新婚旅行を実施している夫妻は調べることができた。
ここまでちょくちょく登場してくれた小松帯刀とその正妻の近だ。
小松帯刀・近夫妻の新婚旅行が1856年、対して坂本龍馬・おりょう夫妻の新婚旅行は1866年。
根拠は本人が書いた『小松帯刀日記』で、1856年に養父をねぎらう目的も合わせて一緒に栄ノ尾温泉を訪れている。これが坂本龍馬・おりょう夫妻よりも以前に新婚旅行があった事実の1つとなるのではないかと筆者は考える。
日本初といわれ、広まった原因は、歴史小説家・司馬遼太郎先生によるもの!?
歴史小説の作者として著名人である司馬遼太郎先生だが、彼の作中には結構な頻度で人物像の創作が行われている。有名なところでは、沖田総司美男子説だ。
先生が執筆された『竜馬がゆく』で、新婚旅行という表現が出る。
実際、坂本龍馬がおりょうが正式に結婚したのは、薩摩藩内でかくまわれた1866年中ではなく、2年後の1868年であるとされているため、史実ではまだ結婚はしていない。
しかし、本作が大ヒットしたことによって、小説のほうが正しい歴史と思われ、坂本龍馬・おりょう夫妻が日本初の新婚旅行だというイメージが定着していくことになったと考えられる。
実際の歴史では、そもそもの前提が新婚旅行ではなく、せいぜい恋人旅行だったといえるだろう。しかしながら、この旅行が二人の縁を深めたのではないだろうか。
【追加雑学③】新婚旅行での坂本龍馬のやらかし
薩摩藩内で旅行を楽しんでいる中で坂本龍馬がなかなかとんでもないことをしでかしている。
坂本龍馬とおりょうは薩摩藩滞在中、高千穂峯で登山を楽しんでいる。しかし、山頂についたときに龍馬はやらかす。
霊峰といわれる高千穂には日本神話に登場する天逆鉾(あめのさかほこ)が突き立てられてるのだが、なんと龍馬はそれを引き抜いてしまったそう。
ちなみにこのとき、おりょうも一緒に爆笑したそうだ(姉への手紙として残っており、この手紙は桂浜の龍馬記念館でみることができる)。もちろん、ちゃんと刺し直したとのこと。
話だけ聞くとなんとも豪快な夫婦だ…。
現在では火山の噴火によってオリジナルは折れてしまい、高千穂峰で目視できる天逆鉾はレプリカだが、地中に埋まってる部分はオリジナルとのこと。
坂本龍馬ファンであっても、真似をして引き抜かないようにしてほしい。
雑学まとめ
坂本龍馬・おりょう夫妻は日本初の新婚旅行を行った夫妻といわれているが、実は日本初ではなかったという雑学をお伝えした。
案外、歴史の通説には歴史小説家の諸先生方が作中で書かれたものが多いので、この記事をきっかけに興味をもっていただければ筆者としても嬉しく思う。