恋人に想っていることを伝えるとき、あなたはなんというだろうか。「愛している」というのはなんだか改まった感じがして、日常的にはちょっぴり使いづらい印象がある。
言葉から感じるそのニュアンスに関係があるのかはわからないが、今回、なんとも興味深い雑学が耳に入ってきた。なんでも、「愛する」という言葉が日本で使われるようになったのは、明治時代以降の話だというのだ。
すると、それ以前の江戸時代の人は、人を愛していなかったのだろうか? 決してそんなことはない。位の高い武士の階級となれば、決められた相手と見合い結婚させられることが多かったというが、庶民たちは自由に恋愛をしていた。
ではなぜ、明治以前の人は「愛している」といわなかったのだろう。そこには、時代に合わせた日本人の思想の変化が隠されていた!
【歴史雑学】明治時代まで日本に「愛する」という言葉はなかった
【雑学解説】「愛する」は西洋文学を翻訳するために作られた言葉だった
「愛する」という言葉が使われるようになった明治時代に何が起きたのかというと、宗教の多様化だ。それまで、日本では仏教が一般的で、キリスト教は迫害されていた。しかし、明治政府は「どんな宗教でも受け入れよう」といいだしたのだ。
これは西洋の文化を受け入れようとする姿勢でもあり、これによって、海外の文学もどんどん翻訳されるようになる。しかし日本人には言い表せない言葉があった。それが「Love」である。
それまでの日本では、恋愛感情を表すには「恋する」・「恋しい」などが一般的だった。しかし、「Love」は家族や友達にだって使えるものである。家族や友達に「恋する」などとはいわない。かといって、「想っている」などと訳すのも違和感がある…。
つまり、日本人は恋愛以外も含めた広い意味での「愛」を、一言で言い表す術を持っていなかったのだ。そこで漢語から「愛」という字を引っ張ってきて、新しい言葉を作ったという。
しかし、この言葉が日本人の感覚に馴染むには時間がかかった。本当の意味で一般的になってきたのは、昭和以降の話だ。
スポンサーリンク
仏教の考え方では「愛」に良いイメージはない
ちなみに、「愛する」という言葉が作られる以前にも、「愛」を使った言葉は存在した。「愛しい」などがそうだ。これは「いとしい」とも読むが、当時は「かなしい」という読み方も一般的だった。
そのニュアンスからもわかるように、どちらかというと、陰鬱としたイメージをもつ言葉だったのだ。
キリスト教の愛は、見返りを求めずに与えるもの。しかし仏教では、愛は相手への執着を表すものである。つまり、相手の幸せは関係なく、自分の欲求を満たしたいという側面の強い言葉だったのだ。
宗教による言葉の概念の違いを見ても、日本で長らく「愛する」という言葉が使われなかったことに合点がいく。
【追加雑学】「愛する」がなかったことは、日本人の繊細さを物語っている
「Love」のような広い意味での愛を表現する言葉がなかったことは、日本人の繊細な心情を表している。たとえば、夏目漱石は「愛している」というストレートな表現は野暮だとし、「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳している。
そのままの意味で捉えれば、これは月の見た目を表しているにすぎない。しかし、そのシチュエーションから言葉を読み解いていくと、日本人らしい繊細な表現だということがわかる。
大好きな人と二人で見上げる月というのは、たとえ雲がかかっていようとも綺麗なのではないか。目にした景色の見え方には、そのときの心もようが関わってくるということだ。
雑学まとめ
今回の「愛」についての雑学、いかがだっただろうか。「愛する」という言葉は、日本人が「Love」を表現しようとした結果生まれた。今ではこの言葉の意味が通らないなんてことはないが、口にするのはやっぱり照れくさい印象がある。やはり日本人の血がそうさせているのだろうか。
愛に対してオープンな西洋の文化も素敵だが、わびさびを大切にする日本の文化もまた、味わい深いものだ。
おすすめ記事
-
侘びと寂び!"わび"と"さび"の違い、言えますか?
続きを見る