出版不況もさることながら、電子書籍の登場や書籍ネット通販の普及により、街の本屋の多くが危機的な状況にあるといわれる。こうしたニュースを聞くにつれ、読書好きの筆者としては寂しい思いにおそわれる。
だが、なかには江戸時代という昔から、現在も営業を続けている本屋も存在しているのだ。それが京都市下京区にある本屋だ。この記事では、日本最古の本屋にまつわる雑学をご紹介する。
【歴史雑学】日本で一番古い本屋はどこ?
【雑学解説】日本最古の本屋は慶長年間に創業した永田文昌堂
出版不況やネットが普及する以前、本を購入する場所といえば、本屋が当たり前だった。読者のお住まいの街にも、最低一軒は本屋があったのではないだろうか。
時代がさま変わりするなかで、江戸時代より400年も営業を続ける本屋が京都にある。その本屋こそ、日本最古の本屋とされる「永田文昌堂(ながたぶんしょうどう)」である。創業はなんと、江戸時代初期の慶長年間とされている。
永田文昌堂は京都市下京区にあり、浄土真宗西本願寺派の仏教書を中心に取り扱っている、京都最古の老舗として知られている本屋だ。
創業者は初代・永田調兵衛という人物で、屋号は丁字屋(ちょうじや)・菱屋(ひしや)と呼ばれており、このお店は現在も営業を続けている。
ちなみに、鎌倉時代末期から室町時代までの京都と鎌倉では、仏教書の出版がさかんにおこなわれていた。とくに京都は、古くから寺院が数多く点在していることから、日本の出版文化の中心地となっていた。
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また京都には、この他にも同じく慶長年間に創業したとされる「法藏館」や「平楽寺書店」という日本最古級の書店が現在も営業を続けており、いずれの本屋も、仏教書を中心に扱っている。
なお、1955年に「永田文昌堂」「法藏館」「平楽寺書店」らの複数書店が、「仏書連盟」を結成して、合同の出版目録を発行したという。このように日本最古の本屋は「永田文昌堂」という、仏教書を中心に扱う本屋だったのである。
【追加雑学】日本最古の筆跡本は?
さて、日本最古の本屋は、京都下京区にある永田文昌堂だった。では、日本最古の筆跡本は、誰が書いたものなのだろうか。
それが「冠位十二階」や「十七条憲法」を定めた聖徳太子である。教科書でおなじみの人物だ。推古天皇の時世、聖徳太子は『法華経』『勝鬘経』(しょうまんぎょう)『維摩経』(ゆいまきょう)の注釈書を著したとされる。3つあわせて『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)という。
そのうち、聖徳太子の肉筆として信憑性が高いとされるのが、法華経の注釈書『法華義疏』(ほっけぎしょ)だ。全4巻ある。
この法華義疏は、中国の南北朝時代の「梁」(りょう)の学僧だった法雲(ほううん)が著した『法華義疏』をもとにしており、その約7割が同文になるという。
この書物は、明治初年、法隆寺から皇室に献納され、現在は皇室が保管している。
雑学まとめ
以上、日本で最も古い本屋である「永田文昌堂」と、日本最古の肉筆とされる「法華経」の注釈書の2つの雑学についてご紹介してきた。
日本で最も古い本屋は、現在もなお経営を続けている仏教書を中心に取り扱う本屋だった。中国から輸入された仏教は、日本に深く根付いていったことが、こうした例からもわかるだろう。