日本人女性はこれまで何度もオリンピックで金メダルを獲得してきたが、その中でも日本人で初めて金メダリストとなった女性をご存知だろうか。
しかし、日本人女性が初めて獲得した記念すべき金メダルの実物はなんと残っていないらしい。日本にとっても大切なメダルのはずなのに、なぜ実物が残されていないのだろうか。
というわけで今回の雑学では、日本人女性が初めて獲得した金メダルについて調べてみたぞ! 実は戦争の影響が金メダリストにまで及んでいたのだ。
また、影響どころか戦争で戦死してしまった金メダリストもいるので、紹介させてくれ。もし戦争がなければと思わずにはいられない…
【オリンピック雑学】日本人初の女性金メダリストの金メダルは復元されたもの
【雑学解説】日本人初の女性金メダリストのメダルは空襲で焼失した
日本人の女性として初めて金メダルを獲得したのは前畑秀子(まえはたひでこ)選手だ。1936年のベルリンオリンピックで女子200m平泳ぎに出場し、見事優勝を果たした。
この試合をラジオで実況したNHKのアナウンサーは「前畑がんばれ!」と20回以上も絶叫していたことが伝説として残っており、この放送回はレコード化もされたそうだ。
ベルリンオリンピック女子200m平泳ぎ決勝の映像をYouTubeで見つけたから、ぜひ見てくれ。「負けたら死んでおわびするつもりだった」と語った前畑の覚悟がものすごい…
前畑は金メダルを自分で管理するのではなく、母校である椙山女学校(現在は椙山女学園)の校長に任せていたらしい。しかし校長の自宅の金庫で厳重に保管されていた金メダルだが、空襲によって金庫ごと吹き飛ばされてしまい、焼失してしまった。
現在も前畑の金メダルは残っているが、それはベルリンオリンピックで男子200m平泳ぎに優勝した葉室鐵夫(はむろてつお)の金メダルのレプリカである。実物はもう残っていない。
葉室の金メダルを元に復元されることになった理由は、前畑が金メダルを取った同じオリンピックの同じ種目(200m平泳ぎ)で獲得した金メダルであったこと、そしてそのメダルが戦争を無事に乗り切ったことが挙げられると思う。
獲得した金メダルは焼失してしまったが、前畑本人やメダルを預かっていた校長は無事だったというのは不幸中の幸いだ。
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【追加雑学】硫黄島の戦いで戦死した金メダリストがいる
戦争に関係している日本人金メダリストはほかにもいる。1932年のロサンゼルスオリンピックで金メダルを取った西竹一(にしたけいち)選手もその1人だ。
彼がとったメダルは、日本がオリンピックの馬術競技で唯一獲得した金メダルである。
軍人である西は帝国陸軍の軍人らとともにオリンピックに出場し、愛馬ウラヌスを駆り、馬術大障害飛越競技で優勝した。
幼少期から馬術に親しんでいたこともあり、軍では騎兵として活躍していたようだ。オリンピック出場前には、出張先のヨーロッパで馬術大会にいくつも参加して好成績を残すなど、才能を発揮している。
オリンピックで優勝した経験や西のサッパリとした明るい性格、そして華族で男爵家の3男であったことから、欧米では西はバロン西(バロン=男爵)と呼ばれ人気があったようだ。
西は外交官であった父の莫大な遺産を受け継ぎ、カメラ・空気銃・バイク・モーターボード・高級外車など当時の日本では考えられないくらい高価なものに熱中していた正真正銘のお坊ちゃまだったようだ。
さらに東京湾クルージングやパーティ三昧などかなり豪遊していたらしいが、当時の日本人としてはかなり型破りだったと思われる。そんな西だからこそ欧米人に好ましく思われたのだろう。
今でいうパリピ(パーティーピープル)がその当時、すでに日本にいたとは。一気に西がチャラい男に感じるぞ…
陸軍中佐に昇進した西は1944年に満州防衛の任を受けたが、その同じ年に硫黄島に行くことを任じられ、激戦の中で戦死した。詳細な最期は分かっていないが、享年42歳だった。アメリカ軍は西の命を惜しんで投降を呼びかけたが、西は応じなかったという。
映画「硫黄島からの手紙」では、西にまつわる実話が登場している。西が負傷したアメリカ兵を尋問したあとに手厚く手当てしたことや、そのアメリカ兵のポケットには母親からの手紙が入っていたことは実話だったという。ちなみに映画での西役は伊原剛志が演じている。
軍人として壮絶な最期を遂げた西だが、もし違う時代に生まれていたらオリンピック金メダリストとして華々しく生きられたかもしれないと思うとやりきれない。
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雑学まとめ
今回の雑学では、日本人金メダリストと戦争との関係について紹介したが、いかがだっただろうか。金メダリストにまさかこのような戦争の影響があったとは…彼らの人生が映画やドラマになっているように、その偉業を後世に伝えていきたいものである。
敵軍に命を惜しまれ、それでも徹底抗戦を続けて戦死した西にどれほど国を守るという強い意志があったのか。われわれは想像することしかできないが、過去にこうした人がいたことで今の平和が築かれたことを忘れてはいけない。
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