街中で見かける赤と白の看板。オリジナルチキンのスパイシーな香り。そして店頭に立つカーネルおじさんといえば、いわずと知れたケンタッキーフライドチキンである。
ケンタッキーフライドチキンが生まれた最初のきっかけは、1930年にカーネル・サンダースがドライブインの営業を始めたことだ。当初はステーキなどの提供をしており、フライドチキンはメニューになかったという。
現在と同じオリジナルチキンが生まれたのは1940年のこと。そして1952年にはアメリカでフランチャイズ1号店がオープンし、その後世界で18,000店舗以上をかかえる企業となっていくのである。
日本では、47都道府県すべてに店舗をかまえているケンタッキーフライドチキン。今回はそんな、みんな大好き・ケンタッキーフライドチキンについての雑学を紹介していく!
【生活雑学】日本のケンタッキーでカーネルおじさんが採用された理由とは?
【雑学解説】日本のケンタッキーにカーネルおじさんが登場!
1970年、愛知県名古屋市で、ケンタッキーフライドチキンの日本1号店が開店した。
しかし、当時の日本では外食ビジネスは産業として認識される前であり、「外食」自体が珍しい時代だった。そのため、飲食店そのものが少なかった。
その上、赤と白という飲食店らしくないカラーリングから、電気屋や理髪店と間違える人が多かったというのだ。
そこで登場したのが、創業者のカーネル・サンダースをモデルとした立像・カーネルおじさんである。
もともとはカナダのフランチャイズ店でイベントのために作られた立像を、視察に行った日本の幹部が持ち帰ってきたのだ。
店頭にカーネルおじさんを置くことで、電気屋や理髪店ではなくケンタッキーフライドチキンだと主張することに成功したのである。
一方で、アメリカのケンタッキーフライドチキンは、一定の知名度を得てからフランチャイズ化・店舗を拡大していった。
赤と白の看板といえばケンタッキーフライドチキン、が浸透していたのである。そのため、本場アメリカでは店頭にカーネルおじさんはいないのだ。
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【追加雑学①】店頭にカーネルおじさんを置くのは日本だけ!
日本が最初というだけではなく、時代が経った今でも、本場アメリカでさえカーネルおじさんの人形を店頭に置いている店舗はほとんどない。
いくらケンタッキーが成功しているとはいえ、カーネルおじさん像がもっと普及しても良さそうなものだが…実は理由があって、そもそも店頭に人形を置くこと自体、日本独自の文化なのだ。
日本は昭和の時代から、薬局のサトちゃん人形や不二家のペコちゃん人形、さらには道頓堀の食いだおれ人形など、店頭に人形を置く文化がある。これは私たちにとっては当たり前だが、外国人にとっては不思議な光景だというのだ。
それらのルーツが商売繁盛の招き猫だといわれれば、日本独自とされていることにもなんとなく納得がいく。つまり日本KFCの幹部が偶然出会ったカーネルおじさん人形は、日本人の考えにバッチリ合致するものだったのだ!
ハワイやアジア諸国など、海外にも日本を真似て人形を置いているお店もあるにはあるらしい。しかしそれらはどれも日本から輸出されたもの。カーネルおじさんは初代を除いて、すべて日本産なのである。
【追加雑学②】カーネルおじさんの呪いとは…?
クリスマスや季節ごとのイベントにおいて、カーネルおじさんの衣装が変わるのは知っている人も多いはずだ。それだけではなく、全国には地域に合わせて、さまざまなカーネルおじさんがいるぞ!
鎧武者の格好をした武者カーネルや、スポーツチームのユニフォーム姿のもの、さらに甲子園球場近くの「阪神甲子園店」には、こんなカーネルおじさんが飾られている!
この年季の入ったカーネルおじさんは、1985年、阪神タイガースが優勝した際、胴上げに見立てたファンが道頓堀川に投げ込んだものだという。
2009年に引き揚げられ、晴れて名物になれたわけだが、冷静に考えてお店のものを勝手に川に投げ入れるって…激しすぎないか?
実はファンが人形を川に投げ込んで以来、成績の低迷が続いた阪神には、「カーネルサンダースの呪いのせいで勝てない」という都市伝説まで囁かれていた。
いやいや…たしかに反省すべきことではあるが、呪いとはおじさんに対して人聞きが悪いぞ!
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【追加雑学③】カーネル・サンダースの本名は?
ケンタッキーフライドチキンの創業者といえば、先ほどもでてきたカーネル・サンダースであることは有名だ。
しかし、カーネル・サンダースが本名でないことは意外と知られていない。
彼の本名はハーランド・サンダース。「カーネル」はケンタッキー州に貢献したことで州知事から贈られた、名誉称号なのだ。
遠い日本まで「ケンタッキー」を知らしめたのだから、カーネル・サンダースのケンタッキー州への貢献度は半端なく高い。
それを見越したわけではないだろうが、名誉称号を与えた州知事の慧眼(けいがん)に脱帽である。
【追加雑学④】店頭のカーネルおじさんは何歳?
カーネルおじさんの立像は、カーネル・サンダースが60才の頃の姿を模して作られている。
60才当時のカーネル・サンダースは、身長180cm・体重90kgだった。対してカーネルおじさん像は、身長173cm・体重26kg。
…微妙に小さい。体重はともかく、身長もぴったり同じじゃないのかい!
ケンタッキーフライドチキンは、日本に約1,200店舗ある。60才の自分とよく似た立像が、日本に1,200近くもあると知ったら、あの世のカーネル・サンダースもびっくりだろう。
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【追加雑学⑤】カーネルおじさんのめがねの秘密
カーネルおじさんの必須アイテムの1つであるめがね。あのめがねには、なんとしっかり度が入っているのだ。
その度数は3.25。老眼鏡である。めがねの型は、めがねの生産地として有名な福井県鯖江市で作られたというから本格的だ。
【追加雑学⑥】1羽の鶏からできるオリジナルチキンは何ピース?
ケンタッキーフライドチキンでは、独自のカット法にもとづいて鶏を切り分けている。
1羽の鶏からできるのは、手羽(ウィング)・あばら(リブ)・腰(サイ)・脚(ドラム)が各2ピース、胸(キール)が1ピースの、計9ピースのオリジナルチキンである。
大体同じ大きさになるよう計算されたカット法だが、全て同じというわけにはいかない。
リブ・ドラム・キールの大きさを1とすると、サイは1.5・ウィングは0.5くらいの大きさになってしまうのだ。
そのため、サイとウィングは1ピースで提供されることはない。サイとウィングのセットで2ピースとしてカウントされるのである。
カーネルおじさんの雑学まとめ
今は有名なケンタッキーフライドチキンだが、日本での開店当初は苦労があったのだなぁと驚いた。
電気屋や理髪店に間違えられたからこそ、ケンタッキーフライドチキンの代名詞ともいえるカーネルおじさんが誕生したのだから、ケガの功名といえるかもしれない。
ケンタッキーフライドチキンの雑学について調べたら、無性に食べたくなってきた。ちょっと買いに行ってくるので、ここで終わりとしよう。
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