日本人の3人に1人が悩んでいるとされる「痔」。古代バビロニアのハムラビ法典には、痔の治療代が定められていたとまでいわれている。人類は、痔ととともに歴史を歩んできたといっても過言ではないだろう。
その例にもれず、日本史でおなじみのあの偉大な人物も、じつは痔に悩まされていた。この記事では、熊本城を築城したことで有名な加藤清正をはじめ、偉大な人物たちが悩まされた痔の雑学についてご紹介する。
【歴史雑学】加藤清正は痔持ち
【雑学解説】あの有名人も持病の痔に苦しんでいた
豊臣秀吉の子飼いの家臣である加藤清正。現在でも、清正公さん(せいしょうこうさん)と呼ばれるほど、熊本県民に親しまれている人物である。現在の熊本県の発展を築いた人物といっても、過言ではない。
そんな偉大な清正は、生前、ある持病に悩まされていた。痔である。猛将で知られる清正だが、彼を苦しめたのは、「痔」だったのだ。
その症状はひどかったらしく、一度トイレに入ると、なかなか出てこなかったらしい。また、下駄を鳴らして、それを合図に家臣を呼び寄せ、トイレの中から命令を出したほどだったという。
持病の痔に悩まされた加藤清正。彼はトイレに長く籠っていたことからすると、痔だけではなく、お腹をくだしやすい体質だったのかもしれない。
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【追加雑学①】俳聖・松尾芭蕉も痔の持ち主だった
痔に悩まれたのは加藤清正だけではない。意外な人物も痔に悩まされていたのだ。江戸時代前期の俳諧師で、三重県上野(現在の伊賀市)に生まれた松尾芭蕉もそうである。
芭蕉は、キレ痔と疝気(せんき)という腹部の疼痛(とうつう)を感じる病気を患っていたといわれている。北日本を旅した紀行文『奥の細道』のなかで、芭蕉は持病の痔を悪化させた際の心境を詠んだ句を残している。
「持病さへおこりて、消入計(きえいるばかり)になん」
ざっくりと現代語訳すると、痔の病まで起こって、苦しみのあまり正気を失いそうになった、という意味になる。また、弟子宛てに「われらぢのいたみもやわらぎ候まま、御きづかひなされまじく候」などの痔に関する手紙を何通も送った記録が残っている。
俳聖・芭蕉でさえ、持病の痔に悩まされていたのだ。痔持ちでありながら、全国を旅したことを思うと、何とも気の毒でならない。
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【追加雑学②】文豪・夏目漱石も痔に悩まされた人物だった
文豪・夏目漱石は、数々の持病の持ち主だったことで知られている。胃弱と神経衰弱は特に有名だ。その病気持ちの漱石は、痔にも悩まされた人物だった。漱石は痔の手術を2回も受けているのだ。
漱石が痔の手術を受けたのは、明治44年から翌年にかけて、東京・神田の佐藤医院で、痔の手術を2回にわたって受けたという。その経験をもとに書いた小説がある。
漱石最後の小説で、未完に終わった『明暗』の冒頭は、主人公が痔の診察と手術を受ける描写から始まる。また、漱石の書簡や日記、俳句の類には、「切口の冷やかな風の厠より」などの痔に関する文章や句も散見されるという。
胃弱と神経衰弱、おまけに痔持ちだったことを考えると、「持病のデパート」と漱石を呼んでみたくなる。
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雑学まとめ
加藤清正をはじめ、松尾芭蕉や夏目漱石といった痔に悩まされた人物たちについての雑学をご紹介した。歴史の偉人も現代の人間も、痔に悩まされるのはいつの時代も変わらないのだ。
偉大な人物だったとはいえ、持病が痔だったと聞くとどこか親近感が湧くから不思議なものである。教科書では決して習わない偉大な人物たちの素顔が知れることも、雑学のおもしろさのひとつといえるだろう。
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