毎年、夏になると盛り上がる高校野球は高校スポーツの花形だ。負けたら終わりの夏の大会は、毎年出場校の数だけドラマを生む。
なかでも高校野球の最高峰である全国大会、通称甲子園は誰もが注目する夏の風物詩。8月の甲子園球場は高校生たちのものだ。
3年間、努力を重ねてきた球児たちの集大成は、人々に不思議な熱気と感動をもたらす。
そんな甲子園は応援もアツい。熱気に溢れる甲子園のスタンドは、「アルプススタンド」と呼ばれる。
「アルプス」というと雪山!? どうして真夏の甲子園が雪山になるんだろう…。今回の雑学では「アルプススタンド」の由来を紹介しよう!
【スポーツ雑学】甲子園のスタンドがアルプススタンドと呼ばれる由来は?
【雑学解説】「アルプススタンド」の由来は真夏のスタンドに現れた「雪山」!
雪で真っ白に染まったアルプス山脈。真夏の甲子園とは程遠い景色に思えるが、実は8月の甲子園球場にも真っ白なアルプスがそびえ立ったのだ。
「アルプススタンド」という言葉が使われだしたのは1929年のこと。
名付け親は大阪朝日新聞編集局の藤木九三氏、あるいは岡本太郎氏ともいわれている。甲子園大会が行なわれている球場を見て「アルプス山脈」を連想したのだという。
そんな話を聞いた岡本太郎の父親で人気漫画家の岡本一平氏が、朝日新聞の連載漫画にこう記したのだ。
「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」
この一文によって「アルプススタンド」という呼称が一気に広がった。ついには席の名前にもなったのである。
それではいったい何が「雪山」に見えたのか。それは当時の観客たちの「服装」だった。
その夏の甲子園球場は、白いシャツを着た観客により真っ白に染まった。
夏の甲子園のスタンドには学生が多い。真っ白なシャツの学生服に身を包んだたくさんの学生たちが、50段ある甲子園のスタンドを白く染め上げたのだ。
こちらはスタンドの動画だ! 真夏の甲子園球場に「雪山」があらわれる…。圧巻だっただろう。
真っ白なスタンドを想像するとなんだか感慨深い気持ちになる。
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【追加雑学①】アルプススタンドにゾウを連れ込んだ高校がある!
甲子園のスタンドといえば応援だ。最後の夏を懸命にプレーする選手に応援も必死。
過去には信じられない応援を行なった高校もある。なんとゾウを連れ込んだのだ。
1951年、春のセンバツでのこと。兵庫代表の鳴尾高校の応援団長がゾウに乗って登場した。
「アキコ」という名前のこのゾウは、球場の近くの阪神パークから団長に連れてこられたのだ。外野通路から現れたアキコと団長はそのままグラウンドを回って選手たちと記念撮影までしたという。
とはいえ、甲子園側には何も伝えずに連れ込んだゾウ。すぐにスタッフに捕まって球場からつまみだされた。
ちなみに、このゾウのおかげなのか、この試合で鳴尾高校はノーヒットノーランを達成し、圧勝した。
すごいなゾウのパワー。しかしなぜゾウを連れてきたのか謎すぎる…。
【追加雑学②】渋滞で大遅刻をした応援団があった!
全国各地からチームが集う甲子園。選手たちも応援団たちも移動がつきもの。時には予測のつかない事態に見舞われることがある。
1990年夏の大会で、そんなまさかの事態に出くわした学校があった。埼玉代表の大宮東高校だ。
大宮東高校の応援団を乗せたバスは、試合前日の夜に甲子園に向けて出発した。翌午前5時には到着する予定で、試合には十分間に合うはずだった。
ところが名神高速道路で玉突き事故が発生。大規模な渋滞に巻き込まれてしまう。甲子園に着いた時にはすでに9回裏の大宮東の攻撃中…。
結局9回裏の攻撃も奮わず、大宮東はこの試合で敗退。応援団はスタンドで応援をすることも試合を観ることもできなかったのだ。
事故というどうすることもできない事態で選手を応援できないなんて悲しすぎる。はるばるバスで駆けつけたのだからなおさらだ。
ちなみに、大宮東高校は初出場。初めてつかんだ甲子園の切符。応援が間に合わないとは悲しすぎる結果だ…。
雑学まとめ
今回は甲子園にまつわる雑学を紹介した。
「アルプススタンド」という呼称には、甲子園の長い歴史と色褪せない人気っぷりがうかがえた。
今では白一色でなくカラフルに見える「アルプススタンド」だが、高校野球の時期には上から下まで人々で埋め尽くされる。この圧倒されるような光景はいまも変わらない。
どんなに時代が変化しようと、一生懸命に野球をする高校生たちの姿とかれらを必死に応援する人々の姿は必ず甲子園球場にあるのだ。
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