第16代アメリカ大統領のエイブラハム・リンカーンは、1863年の奴隷解放宣言で、それまで奴隷中心に回っていたアメリカの常識を大きく覆した。その功績から、歴代の大統領の中でもかなりの人気を誇る人物である。
リンカーンといえばフサフサと生やした顎ヒゲがトレードマークだが、1860年、彼が大統領に就任する以前はこのヒゲが生えていなかったことをご存知だろうか。
「そんなもの、単なるイメチェンじゃないか」という声が聞こえてきそうだが、リンカーンがヒゲを生やしたことには、興味深い逸話がある。今回は、国民の声にきちんと耳を傾ける、誠実な大統領の姿についての雑学をご紹介しよう!
【歴史雑学】リンカーンがヒゲを生やしたのは少女の手紙が理由だった
【雑学解説】リンカーンは少女の言った「今のあなたの顔は怖く見える」という意見を受け入れた
1860年、アメリカ大統領選挙の真っ只中だったリンカーンの元に、一通の手紙が届いた。手紙の主はニューヨーク州に住む11歳の少女グレース・アデルだ。
彼女は父親からリンカーンの写真を見せられ、「ぜひ大統領になってほしい」と思い、応援の手紙を書くことにしたという。いわゆるファンレターというやつだ。
アデルは手紙に「あなたはヒゲを生やしたらもっとハンサムになる。ヒゲを生やしてくれるなら、4人いる兄にもあなたに投票するよう、説得する」と書いていた。また「女性はひげを生やしたダンディーな男の人が好きだから、投票者も増える」とも書いた。
リンカーンの写真を見ればわかるが、彼は痩せていて頬がこけている。たしかにヒゲを生やしたほうが、元々のひょろっとしたイメージよりも立派に見えるかもしれない。
女性がヒゲ好きというのは、好みにもよると思うが…このときはヒゲ男がモテたのだろうか。
一度はヒゲを生やすことを否定するが…
しかしリンカーンはこの手紙に「選挙の大事な時期にヒゲを生やしたら、国民から支持を得られないかもしれない」と返している。これもごもっともな意見で、会社の面接などを思い浮かべるとそうだが、堅いシーンでヒゲはご法度の印象がある。
それに対してまたアデルが返事を返してきた。「ヒゲを生やしていないあなたの顔は怖く見えるから、国民が怖がって投票しない」とのこと。これから国を背負って立とうという男に向かって、この物言い。子供というのは本当に正直なものだ。
しかしストレートにいわれたほうが伝わることもある。リンカーンにも、やはり思い当たる節があったのだろう。その後彼はヒゲを伸ばし、その甲斐もあって(?)見事第16代アメリカ大統領に就任するのだ!
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【追加雑学】リンカーンが行った「人民の、人民による、人民のための政治」って?
リンカーンが行った政治で有名なものは黒人奴隷の解放だが、それもそのはず。何を隠そう彼は奴隷問題を解決するために大統領になったのだ。
当時、黒人奴隷を働かせることで経済が回っていたのは、アメリカでも南部の州においてだった。リンカーンは元々、これが北部に拡大していくようなことがなければ、奴隷問題も徐々に縮小していくだろうと考えていた。
しかし1857年のドレッド=スコット判決で、政府が「北部においても自由州での奴隷制が認められないのは憲法違反だ」としたことなどから、「黙っていては奴隷問題が拡大していく一方だ」と受け止め、動き出すことになる。
リンカーンが大統領になると、1861年からは奴隷制に賛成する南部と、反対する北部に分かれての南北戦争が勃発する。そしてリンカーンは南北戦争に勝利したあかつきに、奴隷を解放することを宣言した。
それがイギリスなどの協力を仰ぐ追い風となり、最後は奴隷解放の実現にこぎつけることができたのだ。
1863年11月のゲティスバーグ演説にて、リンカーンは「人民の、人民による、人民のための政治」という名言を残している。
彼が演説の中で述べた「この戦争で死んでいった人たちの想いを無駄にしてはいけない」という言葉、そして黒人奴隷を等しく人として捉え、開放していった様子に、この名言の真意が込められている。
雑学まとめ
リンカーンについての雑学、いかがだっただろうか。リンカーンが偉大な大統領だと語り継がれるゆえんは、名言の通り彼が人民のために尽力する大統領だったからだろう。顔も知らないたった一人の少女の助言を受け入れたことにしても、彼が人民一人一人に真剣に向き合う人物だったことを物語っている。
奴隷解放にしても、奴隷による経済効果よりも、彼らの人民としての自由をリンカーンは願った。人一人の気持ちに向き合うことができるからこそ、リンカーンは改革を起こすにいたったのだ。
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