皆さん、今回お届けするテーマはとてもナイーブな話題だ。ヘタをすればどこかの組織の黒服たちに連行されることがあるかもしれないので、ここから先の内容に目を通すかは各自の判断にゆだねる。
そう、今回のテーマは「ケネディ大統領暗殺事件」。数々の陰謀説や都市伝説を生み出してきたアメリカ史のなかでも謎多き事件である。
実はこの事件。奴隷解放宣言で有名なリンカーン大統領の暗殺事件と共通点が多いのをご存知だろうか。知らない人もいるかもしれないが、リンカーン大統領も暗殺によってその命を落としているのだ。
2つの事件の共通点。それについての雑学をまとめたので、これから詳しく見ていこう。
【歴史雑学】リンカーン大統領とケネディ大統領の暗殺には共通点がある?
【雑学解説】リンカーン大統領とケネディ大統領の暗殺に共通している要素
まず、2つの事件について知らない人のために簡単な概要を説明しよう。
リンカーン大統領暗殺事件
1865年4月、首都ワシントンのフォード劇場で身内と舞台を観賞していたリンカーン大統領が拳銃で撃たれた事件。リンカーン大統領は翌日に息を引き取った。
ケネディ大統領暗殺事件
1963年11月、テキサス州ダラス市でパレードを行っていたケネディ大統領が道中で銃撃された事件。ケネディ大統領は病院に搬送されたが、弾丸が頭に命中しており、息を吹き返すことはなかった。
これらが2つの事件の概要である。いずれも物騒な話に変わりないが、100年近くも時期が違うので一見、関わりがあるようには見えない。
しかし、実は多くの共通点があることを各方面から指摘されている。一覧にしてみたので目を通してほしい。
差別問題
アメリカは建国以来、長らく人種差別問題を抱えている。奴隷解放宣言で知られるリンカーンはアメリカ南部の奴隷を解放した。ケネディも政治家として黒人を政府の幹部に任命するなど、積極的に差別撤廃の政策を行っていたのである。
家族に駐イギリス大使を務めた人物がいる
リンカーンは息子、ケネディは父親が駐イギリス大使として活躍していた経歴がある。
事件現場の状況が酷似している
どちらの大統領も家族と一緒にいるところを銃撃されている。また、どちらの犯人も事件直後に射殺されており、法廷には立っていない。
どちらの事件後も「ジョンソン」という副大統領が昇格して大統領になっている
リンカーンのときは「アンドリュー・ジョンソン」。ケネディのときは「リンドン・ジョンソン」という副大統領が後釜として大統領に昇格した。どちらのジョンソン大統領もアメリカ南部出身。
これらが2つの大統領暗殺事件の共通点だ。今回、紹介したのはごく一部であり、他にも偶然とは思えないような要素が多々ある。なかにはリンカーンもケネディも30代で結婚したという、こじつけのような共通点もあり、不謹慎ながら笑ってしまった。
だが、少なからず共通点があるのはたしかだ。リンカーンもケネディも混乱の多かった時代のアメリカ大統領。常に危険と隣り合わせだったのは間違いないだろうが、はたして偶然似たような状況で暗殺されたのだろうか。
巷で噂されているような陰謀や黒幕が実は存在したりして…。信じるか信じないかはあなた次第である。
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【追加雑学】実はケネディ大統領の弟も暗殺されている
凶弾に倒れたケネディ大統領だが、実はその弟であるロバート・ケネディも暗殺されている。それはケネディ大統領暗殺事件から5年後のことだ。
兄と同じく政治家だったロバート・ケネディは1968年にロサンゼルスで演説を行っていた。その直後に兄と同じく銃で撃たれ、翌日に息を引き取ったのである。
ちなみに、ケネディ大統領の実の息子であるジョン・F・ケネディ・Jrは小型飛行機の事故で残念ながら命を落とした。
ケネディ一家は悲運な運命をたどった者が何人もいる。残された家族のことを考えると心が痛むばかりだ。
今後はこのような大統領一家が生まれないことを願いたいものである。
雑学まとめ
今回は、陰謀論うずまくリンカーン大統領とケネディ大統領の暗殺事件についての雑学をご紹介した。
2つの事件に共通点があるとはいっても、それに何か意味があるとは限らないので注意してほしい。本当にたまたまなのかもしれないので、受け止め方は各自の判断だ。
筆者も組織の黒服に目をつけられないようにこれ以上の深入りは避けたいと思う。おや、もう深夜だというのに自宅のチャイムが鳴った。一体誰だろう…。
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