焼き立てあつあつ、焦げ目のついたお団子に甘辛いタレがたっぷりついた「みたらし団子」。できたてほやほや、湯気の立つみたらし団子を食べるその瞬間は至福の時…。
街中や観光地でふと見かけて、ついつい買って食べてしまうという方も多いのではないだろうか!? 何を隠そう私もそのうちの1人。あのなんともいえない良い香りに誘われると、とてもあらがえる気がしない。
「あれっ!? ここのお店のみたらし団子は、お団子4個しか刺さってないんやね?」
「えっ? それが普通なんじゃないん!?」
おっと!? なぜか友人と意見が食い違ってしまった。
これはどういうことなんだろう…。なんだかとっても気になってきたので、今回はこの雑学について調べてみることにした。
【食べ物雑学】串に刺すみたらし団子の数は関東と関西で違う
【雑学解説】みたらし団子の発祥の秘密
関東と関西でみたらし団子の数が違っているのは、どうやらみたらし団子の歴史に関係があるらしい…。では「みたらし団子の起源は?」というと、なんと鎌倉時代にまでさかのぼる。
なんでも、京都の下鴨神社にある「御手洗(みたらし)池」というのが「みたらし団子」の名前の由来なのだという。
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この御手洗池、実は泡が出てくると縁起がいいとされているありがたい池なのだそうだ。
当時の天皇である後醍醐天皇が、下鴨神社を訪れた際にその御手洗池で手を洗った時のことである。なんとタイミングよく、御手洗池から泡が1つ出てきたではないか!
しかもその後さらに4つの泡が続けて出てくるという幸運ぶり。「これは、この縁起の良さにあやからなければ!」と当時の氏子たちが、それまではバラバラの状態でお供えしていたお団子を、泡の数と同じ5個、まとめて串に刺すようにしたという。
その後境内の茶店などで、その5個串に刺さった団子にお馴染みのあのタレをつけて売るようになったのが、「みたらし団子」の始まりなのである。なんと今でも、下鴨神社のすぐそばの「加茂みたらし茶屋」では、その元祖みたらし団子を食べることができるのだが、実は私もそれが大好物!!
その場で食べることも、持ち帰ることもできるので、下鴨神社にお参りの際にはぜひとも立ち寄ることをおすすめしたい。下鴨神社のようすはこちらに動画から見ることが出来るぞ。
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関東で4個になった理由
関西で生まれたみたらし団子。では、どうして関西では5個刺さっていたみたらし団子が、関東では4個になったのだろうか?
これについてもちゃんと納得できる理由があった! 江戸時代の頃には、串団子といえば5個の団子が串に刺さっているのが当たり前になっていたそう。
そのお値段は? というと、当時の値段で串団子1本が5文であった。1個の団子が1文の計算である。
それが変わったのが1760年頃。4文銭というものができたことで、団子の数にも変化が起こった。
そう! もうお分かりの方もいるのではないだろうか!?
ワンコインで食べられるみたらし団子が登場したのだ。そりゃあワンコインで食べられる方がお手軽で人気が出るのは目に見えている。それが広まっていったことで、4個刺しのみたらし団子が主流になっていったのもうなづける話である。
雑学まとめ
今回の雑学で、みたらし団子の関東・関西での数の違いの謎も解明された。4個派・5個派、どちらが好きか、それぞれ好みは分かれるかもしれないが、旅行先などでみたらし団子の香りに誘われた時には、ぜひ買って確かめてみては!?
もしかしたら4個刺しや5個刺し以外にも、地域によってはもっと変わったみたらし団子が見つかるかもしれない。もし美味しくて変わったみたらし団子を発見された際には、団子好きの私にもぜひご一報を…!
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