誰もが知っているであろう「目からウロコが落ちる」という言葉。改めて説明すると、この言葉は「ふとしたキッカケで、物事が理解できるようになる」という意味である。
しかし、「目にウロコなんてないよ!」と、突っ込んだことがある人も多いだろう。いったい、どこの誰がこんな非現実的なたとえを使い始めたのか、その人物を問い詰めてみたいくらいである。
…と思ったら、「目からウロコが落ちる」は、聖書のありがたい言葉だったのだ! それでは、聖書ではどのように目からウロコがおちているのか? 以下の雑学より解説していこう。
【世界雑学】「目からウロコが落ちる」は聖書の言葉だった!
【雑学解説】聖書に出てくる「目からウロコが落ちた」逸話について
「目からウロコが落ちる」の逸話が出てくるのは、新約聖書の「使徒行伝(しとぎょうでん)」。そのなかに登場するユダヤ教徒のサウロは、キリスト教徒を殺すなどの過激なキリスト教迫害を行なっていた。
あるとき、サウロがキリスト教徒を追っていたところ、彼は謎の光に包まれる。そして、「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」という声を聞くと、神罰により目が見えなくなってしまったのだ。
その後、神からサウロのもとに遣わされたキリスト教徒が彼の目に触れると、目からウロコ”のようなもの”が落ちて、目が見えるようになる。これをキッカケにサウロはキリスト教の正しさに目覚めて改宗し、キリスト教の布教に力を入れるようになったという。
つまり、聖書のなかの「目からウロコが落ちる」とは、物理的に「目が見える」という意味と、心理的に「物事が理解できるようになる」という二重の意味が隠されているのだ!
ウロコが存在しない人間だが、神様がウロコのようなものを被せたとするなら納得である。冒頭では最初に言い出した人物を問い詰めたい…といったが、神様を問い詰めるのは罰が当たりそうなので、やめておくことにしよう。
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【追加雑学①】「豚に真珠」も聖書の言葉だった!
聖書が由来の言葉には、「目からウロコが落ちる」以外にも有名な格言があり、その1つが「豚に真珠」だ。この言葉には「価値のわからないものに、貴重なものを与えても無駄である」という意味がある。
「豚に真珠」の由来は、新約聖書の「マタイ伝」にある下記の言葉だ。
「聖なるものを犬に与えてはいけない。また、真珠を豚に投げてはいけない。恐らく、彼らはそれらを足で踏みつけ、向きを変えてアナタに噛みついてくるであろう」
まさか豚が攻撃までしてくるとは…。思っていた以上に過激な内容だったことに、ちょっとビックリである。刺激して興奮させることにしかならない、ということなのか…要は牛に対して赤いマントを振るのと同じようなことだろうか?
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【追加雑学②】目からウロコが落ちる動物がいる
冒頭でもいったように、人間の目にウロコがないのは、当然誰でも知っている。それでは、実際に目からウロコが落ちる動物はいるのだろうか?
実は、蛇にはまぶたがないため、目を保護するために透明なウロコのようなもので覆われている。そして、蛇が脱皮するときに目を保護していたウロコも落ちるのだ!
まさに「目からウロコが落ちる」である…といいたいところだが、脱皮のときには体全体のウロコが落ちるので、目のウロコだけが落ちるわけではない。なんだかちょっとガッカリである。
雑学まとめ
「目からウロコが落ちる」や「豚に真珠」などの有名な格言が、聖書の言葉だという驚きの雑学をご紹介した。
これ以外にも、聖書には数多くの格言が載っているので、興味のある方は調べてほしい。そうすれば、まさに目からウロコが落ちるような発見があるに違いない!
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