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金ピカ!東大寺の奈良の大仏はかつて黄金色だった【廬舎那仏】

雑学カンパニー編集部

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奈良の大仏は、造られた当時は黄金色だったという雑学

世界有数の金の産出国として、金貨や小判が盛んに製造されていたかつての日本。マルコ・ポーロが著した『東洋見聞録』に、「黄金の国ジパング」と紹介されていることは、皆さん周知の通りだ。

実は、現在人々に親しまれている建造物にも、「黄金の国」の名に恥じない、まばゆい光に包まれていたものがある。それが奈良県にある東大寺の大仏である。

今回はそんな、奈良の大仏のかつての色についての雑学をご紹介していくぞ!

【歴史雑学】奈良の大仏は、造られた当時は黄金色だった

奈良の大仏は造られた当時は黄金色だったという雑学

信長さん
俺の安土城のほうが金ピカだったけどな!

秀吉くん
殿!張り合うとこじゃないっす!

【雑学解説】奈良の大仏を造るには、さまざまな困難が伴った

奈良時代、聖武天皇の命によって造られた奈良の大仏。この巨大な仏像は、国家の安寧と人民の幸せを願って、約10年の歳月をかけて造られた。

大仏の正式名称は「廬舎那仏(るしゃなぶつ)」といい、創建当時は全体が黄金に輝いていたのだ。

創建当時の全貌を伝えるのが、平安時代の末期に制作された日本四代絵巻物のひとつ『信貴山縁起絵巻(しぎさんえんぎえまき)』だ。その第三巻には、黄金色に輝く大仏の姿が描かれている。

奈良の大仏は、全長約15メートル・重さ250トン。識者の計算によれば、完成までには260万人もの人手が必要だったという。また大仏に必要とされる銅は500トンにものぼる。

国家的プロジェクトによって造られた大仏は、その規模からも、創建当時にさまざまな困難がつきまとったことは想像にかたくない。

その証拠に、大仏に魂を入れる「開眼供養会(かいげんくようえ)」は、752年に執り行われているが、仏像の全体を金に塗る鍍金(ときん)作業は、5年後の757年までかかったことが分かっている。聖武天皇が大仏の建立にかけた執念と思いの深さが伝わってくるエピソードだ。

なお東大寺の大仏は、平安期と戦国期の2度にわたって戦火によって焼け落ちている。現存する大仏の大部分は,江戸時代に入ってから修復されたものだ。また大仏が往時の面影を残していないのは、鍍金作業に莫大な資金がかかることから断念されたとの説がある。

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【追加雑学①】日本は奈良時代まで金が産出されなかった

東大寺の大仏と金山の関係

「黄金の国ジパング」と呼ばれた日本にも、金が産出されない時代があった。日本で初めて黄金が見つかったのは、実は東大寺に大仏が建立されたことと深い関係がある。

聖武天皇は、日本で金が産出されないことから、当初は海外から金を調達しようと考えていたという。しかし金の調達が上手くいかず、計画は暗礁に乗りあげたかに思えた。そんなときに、東北から吉報がもたらされたのだ。

現在の宮城県・湧谷で金山が発見されたとの知らせが天皇のもとに届いた。これによって東北の金山開発が進み、大仏に必要な金を調達できたという。

聖武天皇は東北からの知らせを大変喜び、土地の人々や関係者に、減税や官位などの特別措置で感謝を表したという。大仏を建立する舞台裏では、こうしたエピソードもあったのだ。

秀吉くん
聖武天皇のテンション爆上がりだったでしょうねえ…

【追加雑学②】日本初の公害病は、東大寺の大仏建立によって引き起こされた?

日本初の公害病は東大寺の大仏建立によって引き起こされたという説国家的事業として東大寺に建立された大仏。しかし東大寺のあった平城京は、完成から約30年後に長岡京へ遷都している。

国家的な事業にもかかわらず、あえなく都を移した理由には、大仏建立によって引き起こされた重金属による病気が関連しているという説がある。

東大寺の大仏には、全国から集められた大量の銅・鉄・すず・水銀が使用されている。この建立の際に使用された大量の金属によって、人々の間に健康被害が発生したというのである。

たとえば、大仏を黄金に塗る鍍金作業は、銅の上から直接塗ることができず、水銀を混ぜることではじめて鍍金が可能になる。この作業は5年にも及んだため、水銀が体内に入り、重大な健康被害をもたらしたのではないか、というのである。

遷都した理由は明らかではないが、大規模な大仏建立からわずか30年ほどしか経ってないにもかかわらず、長岡京へ遷都したのはこうした理由も疑われている。

雑学まとめ

奈良の大仏は造られた当時黄金色だったという雑学まとめ奈良の大仏は造られた当時、黄金色だったという雑学をご紹介した。現在からは想像できないが、かつて仏像の全体は、まばゆいほどの黄金色に輝いていたのである。

しかしその代償は大きく、国の安泰と国民の幸せを願って建立された大仏は、それとは裏腹に、多くの犠牲者を生む結果となったようだ。物事には表と裏が常に一体であることを、あらためて思い知らされるエピソードである。

信長さん
ふかーい感じでまとまったな。

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